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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

ワイルドウエストと自然保護の町、
ケーブクリーク(5)

2014年9月号

 金鉱に群がっていた人々が次々と去っていった。ケーブクリークのゴールドラッシュが終焉となり、そこには、静けさが帰ってきた。
 一方、ここで農牧業を営むカウボーイ達は、ケーブクリークに次の時代を作る主役となっていた。山を掘り起こす時代から、牧場やコテージを作り上げ、ケーブクリークにオアシスを出現させ始めた。

 今月は、そのひとつ、ランチョ・マニアーナに足を伸ばしてみた。

 

 

 

砂漠の中のオアシス

 かつて軍用道路のルート探しで、軍の一部隊をケーブクリークに入れたストーマン大佐は、泉から水が湧き出ている一帯を見つけた。1870年のことだ。それまで、砂と岩の茶褐色の大地を移動していた彼らにとって、まるで天国のような緑の園が眼前に広がっていた。ここが、その後、ランチョ・マニアーナ(Rancho Manana)として多くの人々を魅了してきたオアシスであった。

 

ロミー・ロウダーミルク(右端から3人目)
Photo: Courtesy of Tonto Bar & Grill at Rancho Manana

 

ロメイン・ロウダーミクル
(Romaine Lowdermilk)

 ある日、カンザス生まれの青年が、ニューメキシコの牧場に送られ来た。彼は、まだ10代の若さだった。名前は、ロメイン・ロウダーミルク、通称ロミーと呼ばれていた。病弱だった彼を心配した親がニューメキシコ州にある牧場で療養するようにと、彼を西部に送ったのだ。カンザスより温暖で乾燥している場所で、健康を回復することを願ってのことだった。
 西部に来た彼は、そこでワイルドウエストに惚れ込んでしまった。しばらくして、ようやく健康が回復するとカンザスの高校に復校。そして、高校卒業後、大学に入学した。ところが、大学を1年で中退して、忘れられない西部を目指した。そして、アリゾナに一人でやってきたのだ。アリゾナでは、カウボーイの生活を始めることになった。

   

 1911年、彼は、21才の若手牧場主になっていた。フェニックスの北西部にウィッケンバーグというの町がある。その北部でケイ・エル・バーという牧場を経営し始めた。
 好きだったカウボーイ生活をしながら、彼は時間を見つけては、ギターを手にカウボーイの音楽を歌って楽しんでいた。自分でも作詞作曲をした。また、西部の小説などを書いて雑誌に寄稿もした。すると彼のことを知った東部の出版社から編集長などが彼の牧場を訪れるようになる。これは、彼にとって、東部観光客を受け入れる貴重な体験となっていった。
1927年、ケイ・エル・バー牧場を売却した彼は、もっと北のキャンプ・バーデ近辺で牧場を購入して引っ越した。
 1929年、フェニックス初の本格的リゾート、ビルトモア・ホテルが完成した。このビルトモアで、彼はカウボーイとして雇われた。その間、ホテル経営を学ぶことができた。こうして、その後、アリゾナとカリフォルニアでホテルの経営を手がけるまでになっていた。

 

ロミー・ロウダーミルク
Photo: Courtesy of Tonto Bar & Grill at Rancho Manana
 

 

 1920年代にエド・ハワードがケーブクリークで小さな雑貨店を営業していた。彼は、ケーブクリーク唯一の郵便局も管理し、キャンプ場も持っていた。また、肺結核患者用の病養テントを設置して賃貸していた。当時は、東部などから多くの結核患者が乾燥した温暖な場所で療養のため、アリゾナに移ってきていた。
 そして、彼が目につけたのは、現在のランチョ・マニアーナの泉だった。地下から沸き上がってくる冷たい水は、何物にも代え難い宝だった。そこで、その水を使ってプールを作った。このプールは、訪問客や地元住民にとって、大きなアトラクションの場となった。こうして、宿泊施設を提供するハワード・ランチとして評判が広まっていった。

 

井戸水を使ったプール
Photo: Courtesy of Tonto Bar & Grill at Rancho Manana
 
 

 さて、ロミー・ロウダーミルクに話は戻る。1940年代、彼は結婚し、夫婦でケーブクリークに移ってきた。ここで、彼らは、どこにもないユニークな牧場を作ろうと決めた。そして、前述のハワード・ランチを買収した。
 彼は、建物をスペイン風ハシエンダ調のものにし、イメージを大きく変えて、コテージで観光客の受け入れを始めた。生まれ変わったこのランチをランチョ・マニアーナと命名した。
 カラフルな建物にメキシコ調タイルを敷き、プールやバーを設置、馬小屋には乗馬用の馬が待機していた。東部から来た観光客は、西部ならではのオアシスを満喫しながら、ロミーのギターや歌を楽しんで休暇をすごすようになった。

 

当時のランチョ・マニアーナのカシータ
Photo: Courtesy of Tonto Bar & Grill at Rancho Manana

 ランチョ・マニアーナを経営していたロミーは、1955年までホテル業を続けたが、その年、すべてを売却してフェニックスに引っ越してしまった。その後、ランチョ・マニアーナの土地には、開発業者がコンドを建設し、その周辺にリゾートホテルとゴルフコースが現れた。こうしてランチョ・マニアーナは、今でも砂漠の中のオアシスとして、ケーブクリーク観光の目玉商品となっている。

   
  ランチョ・マニアーナのウェブ
ランチョ・マニアーナ・ゴルフ・クラブ
http://www.ranchomanana.com
トント・バー&グリル・アット・ランチョ・マニアーナー
http://www.tontobarandgrill.com
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