このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
ワイルドウエストと自然保護の町、
ケーブクリーク(3)
2014年7月号
フォート・マクドウェルとフォート・ウィップル、つまり今のファウンテンヒルズとプレスコットを結ぶ軍用道路が完成した。これは、アメリカ陸軍のストーンマン大佐が1870年に作業開始の命令を下したものだった。アパッチ族の奇襲にそなえ、また敵を追い払うために戦略上必要な道路であった。その道路がケーブクリークを通過することで、ケーブクリークにも大きな変化が現れた。 |
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インディアン・スカウト
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軍用道路ができると、そこは、物資の運搬だけでなく、軍隊によるパトロールのルートともなった。陸軍は、神出鬼没のアパッチ族を一掃し、壊滅的な打撃を加えるべく、休む暇なく動いていた。当時、陸軍が目を付けたのは、アパッチ族に反感を持っているアメリカ・インディアン達だった。いわゆるインディアン・スカウトの始まりだ。つまり、アパッチ族に襲われた経験を持ち、彼らを一掃したいと願う地元の先住民達を組織し、陸軍と一緒に戦闘に参加するグループのことである。このインディアン・スカウトは、米議会で1866年に承認されて、米軍にとって重要な戦略のひとつとなった。 |
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ジョージ・クルック(George Crook) |
ネイティブ・アメリカンとの戦闘で歴史上有名な軍人。それは、ジョージ・クルックである。彼は、陸軍の職業軍人であり、南北戦争とインディアン戦争で一躍有名となった。 |
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タレット・ピークの戦い |
ケーブクリークの北約20マイル先。ここ、トント国定森林地帯に、タレット・ピークという山がある。ここで熾烈にして残虐なる戦いが起こった。1873年3月27日、ジョージ・ランダル大尉が率いる部隊は、タレット・ピークの周辺に入り込んだ。すでに夜中で辺りは静まり返っていた。兵士達は、音を立てて感づかれないよう、ひざと手を使って、這うように進んだ。タレット・ピークには、ヤバパイ・アパッチとトント・アパッチがグループとなって集合していた。夜明けを待って、陸軍一隊は、アパッチに不意打ち攻撃をしかけたのだ。奇襲を受けたアパッチは、パニック状態になった。崖を飛び降りて命を断つ者あり。抵抗をし殺される者あり。降参をする者あり。結果として、57名のアパッチが死亡し数名が捕虜となった。 |
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ウィリアム・ヘリングス(William Hellings) |
フォート・マクドウェルに東海岸から人が引っ越してくる。人口が増えてくると、需要が増大する。そこに目をつけた青年事業家がいた。26才のウィリアム・ヘリングスだ。彼は、遠隔地であるフォート・マクドウェルで雑貨屋の店を開いた。生活必需品は、カリフォルニアやメキシコから幌馬車で運搬されてくる。騎兵隊が使う馬の飼料も飛ぶように売れた。 |
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フェニックスとケーブクリークを結ぶ道 |
精力的にビジネスを展開するヘリングスは、フェニックスの北にあるケーブクリークに目を付け、金鉱を採掘しようとした。そこで、フェニックスからケーブクリークまで道路建設をすることにした。彼は、この道路がもたらす未来の発展を信じていた。そして、彼自ら工事費を捻出したのだった。こうして、ケーブクリークを通過する軍用道路とともに、商用の道路がケーブクリークの可能性を開いていった。現在のケーブクリーク道路の南側の一部は、彼が当時建設した道路に沿って走っている。 |
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ゴールデン・スター金鉱 |
道路工事が成功すると、彼は、ケーブクリークに本格的な金鉱採掘場を作り上げた。4人のカリフォルニアの投資家と共に、ゴールド・スター・マイニング社を創設して出発した。 |
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