このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
カレッジ・タウン、テンピの歴史(5)
2007年9月号
水と娯楽。テンピは豊富な川の水と創造力に富んだ住民によって、誠にユニークな町に発展してきた。 今月は、テンピ・ビーチと映画館の話。 写真:アリゾナ・マーカンタイル・カンパニー(1900年)Courtsey of Tempe Historic Museum |
写真:テンピ高校マーチングバンドのパレード(1939年)Courtsey of Tempe Historic Museum
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テンピとハーキンズ・シアターアリゾナ映画館の草分け |
ドワイト・ハーキンズ、通称レッドという若者がハリウッドを目指して旅をしていた。時は、1931年。 映画は無声映画から有声に変わりつつあった。映画の虜になった彼は、生まれ育ったオハイオ州のシンシナティから、たった一人でロサンゼルスに向かっていた。16才の彼には、大きい夢を抱えて、他の困難など蹴散らす勢いだった。ハリウッドで成功しよう、との気概が彼の胸に膨らんでいた。 若い彼は、テンピにあって、何か新しい仕事を探し求めた。ハリウッドでなくても、ここで何かできるのではないか、と真剣だった。そして、ついに映画館のビジネスを始めようと決意したのだ。 |
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本格的映画館の登場 |
そして、19323年にアリゾナで初めての本格的映画館が誕生したのだ。時は、大恐慌の暗い影が世界を覆っていた。しかし、それを跳ね返すように、彼はこの事業を立ち上げたのである。彼は18才になっていた。恐らく、世界で最年少の映画館創立者ではなかろうか。その名をザ・ステート・シアターと名付けた。現在アリゾナ最大の映画館企業、ハーキンズ・シアターの第一号だった。 |
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テンピとハーキンズ・シアターアリゾナ映画館の草分け
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ドワイト・ハーキンズ、通称レッドという若者がハリウッドを目指して旅をしていた。時は、1931年。 映画は無声映画から有声に変わりつつあった。映画の虜になった彼は、生まれ育ったオハイオ州のシンシナティから、たった一人でロサンゼルスに向かっていた。16才の彼には、大きい夢を抱えて、他の困難など蹴散らす勢いだった。ハリウッドで成功しよう、との気概が彼の胸に膨らんでいた。 若い彼は、テンピにあって、何か新しい仕事を探し求めた。ハリウッドでなくても、ここで何かできるのではないか、と真剣だった。そして、ついに映画館のビジネスを始めようと決意したのだ。 |
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本格的映画館の登場写真:ステート・シアター (1935年)Courtesy of TempeHistorical Museum |
テンピ・ビーチ・シアター そして、19323年にアリゾナで初めての本格的映画館が誕生したのだ。時は、大恐慌の暗い影が世界を覆っていた。しかし、それを跳ね返すように、彼はこの事業を立ち上げたのである。彼は18才になっていた。恐らく、世界で最年少の映画館創立者ではなかろうか。その名をザ・ステート・シアターと名付けた。現在アリゾナ最大の映画館企業、ハーキンズ・シアターの第一号だった。 |
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テンピ・ビーチとテンピ・ビーチ・シアター写真:テンピ・ビーチの入り口、バスハウスと呼ばれた (1935年)Courtesy of Tempe Historical Museum |
テンピに本格的なレクリエーション施設が登場する。その名は、テンピ・ビーチ。1923年にできたこの施設は、当時のアマチュア競技連合の企画に沿ったプールが設置された。それ以前は、水泳と言えば、ソルト・リバーに飛び込む以外になかった。 写真:ソルト・リバーで泳ぐ市民 (1923年)Courtesy of Tempe Historical Museumこのテンピ・ビーチは、アリゾナ州内の若者や家族連れを魅了して止まなかった。プールとその周辺の公園は、約半世紀の間、市民にとって格好のレクリエーションの場となってきた。 写真:テンピ・ビーチ (1935年)Courtesy of Tempe Historical Museumさて、レッドはこのテンピ・ビーチに着目した。人が一番集まって来て楽しむ場所であれば、ここに映画館を作れば、ビジネスは成功すると見た。そこで、1933年にテンピ・ビーチ・シアターという屋外映画館をプールの横に作り上げた。ところが、ある日、突風の嵐に襲われ、大きく損傷したシアターは、それ以後、姿を消してしまった。 写真:テンピ・ビーチ・シアター (1935年)Courtesy of Tempe Historical Museum |
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