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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

赤い山の町、セドナの魅惑(3)

2006年2月号

 先月に続き、今月もセドナ特集。

 今回は、トンプソン家とともにセドナのパイオニアであったベア・ハワードの足跡を追っ手みよう。

   
ベア・ハワード、熊狩りの名人

ベア・ハワード(中央)と熊
写真提供:Sedona Historical Society

 先月号で紹介したトンプソン。その義母にあたるエリザベスが最愛の夫、アブラハムを病気で亡くしたのは、1881年の夏のことだった。その後、エリザベスはセドナに残り、10年後に再婚することになった。再婚の相手はベア・ハワード。彼の本名はジェシー・ジェファーソン・ハワードだ。その彼がベアと呼ばれ、自分もそう呼んだのは、訳があった。
 彼は、6フィートの長身でがっちりした体格を誇っていた。。その彼がオーク・クリーク・キャニオンに移ってきたのは、1880年だった。当時のオーク・クリーク・キャニオンには多くの熊が出没していたたため、入植者にとって熊は頭痛の種だったし、実際、熊に襲われて死んだ人たちも多かった。
 そこで、ハワードは大きな体にものを言わせ、熊狩りに出て、その名人となってしまった。こうして、彼はベア(熊)ハワードと呼ばれるようになった。彼もそれを誇りに思っていたに違いない。

ハワードの過去

 ハワード家の記録によると、ジェシー・ジェファーソン・ハワードは、1817年にイリノイで生まれたようだ。彼の親はアイルランドとスコットランド系だった。
 ハワードがまだ10代の時、まだメキシコ領であったテキサスがメキシコからの分離と自治を主張して、1835年に反乱が勃発した。翌年、メキシコ軍がテキサスに進軍。この時、19才のハワードはテキサス軍に入隊して戦場に向かった。彼は、この戦争で銃弾を背中に受けた。その弾丸は何とその後ずっと彼の肺の中に残ったままになっていた。ついに彼が60代になるとフラッグスタッフの医者が手術をすることになり、弾丸の摘出に成功した。その医者はこのめずらしい弾丸と引き換えに手術代を無料にしたという。
 ゴールドラッシュの1840年代。ハワードも金塊を求めてカリフォルニアに移る。そこでオランダ人の女性、ナンシーと出会い結婚。1856年に長男ジェス、1858年に長女マティーが生まれる。ところが、一家に悲劇がおこった。マティーが3才の時に妻のナンシーが死んでしまったのだ。そこでハワードは子供達をサンタクララのスペイン修道院に預け、彼はその近くで牧場経営を始めた。こうして二人の子供は乗馬を覚え、教育も受けることができた。
 そして、前述の事件が起き、ハワードはアリゾナに逃げた。

パティーマン家の登場

写真提供:Sedona Historical Society
トンプソンと彼の丸木小屋

 そのころ(1870年代)にはハワードの長女、マティーは結婚し、夫スティーブン・パーティマンと長男のエマリーをもうけて家庭を持っていた。1879年に次男のジェスが生まれると、パーティマン一家は、アリゾナにいるベア・ハワードの近くに住むためカリフォルニアを後にした。その時、ハワードの長男、ジェスも旅を共にしてアリゾナに移った。
 パーティマン家は、ハワードを訪ねた後、現在のフェニックスの近くに身を構え、スティーブンは運送業者として働いた。そして一家には、三男、アルバート、四男、ジョージ、五男、ダンが次々と生まれた。まもなく再びハワードの住むオーク・クリーク・キャニオンに戻って来て、ハワードの丸木小屋でしばらく生活をすることにした。
 その後、フラッグスタッフのすぐ南に小屋を建てて移ったパーティマン一家は、結局6人の男の子と3人の女の子、計9人の子供が生まれ大家族となった。

 1891年にハワードは再婚をすることになった。再婚の相手がセドナ初の白人入植者の一人、アバラハム・ジェームスの妻で未亡人となっていたエリザベスだった。その時ベア・ハワードは64才、エリザベスは54才。ところが、この二人の結婚は全く長続きせず、たった3ヶ月で終局を迎えてしまった。

ハワード家、パーティマン家の家系図

ベア・ハワードの丸木小屋 写真提供:Sedona Historical Society

 それから6年後、マティーもスティーブンと別れることになる。22年の結婚生活だったが、スティーブンの酒癖が離婚の原因といわれる。しばらくして、マティーは5人の子供がいる男性ジェームス・クックと再婚し、自分の子供達に加えてジェームスの子供、そしてジェームスの馬の世話をし、牧場を守った。残念ながら、ジェームスも酒癖が悪く、結局再び離婚をしなければならなくなった。マティーは1951年に94才でこの世を去った。
 ベア・ハワードの長男、ジェスは独身を通し、1923年にオーク・クリーク・キャニオンで死去。
 パティーマン家の三男のアルバートは、トンプソン家の娘、クララと結婚している。
 熊狩り名人ベア・ハワードは93才で人生を閉じた。
 トンプソン家、ジェームス家、ハワード家、パーティマン家はセドナとオーク・クリーク・キャニオンの最も初期の入植者として歴史を開いたパイオニアとなった。

 
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