このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
赤い山の町、セドナの魅惑(3)
2006年2月号
先月に続き、今月もセドナ特集。今回は、トンプソン家とともにセドナのパイオニアであったベア・ハワードの足跡を追っ手みよう。 |
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ベア・ハワード、熊狩りの名人ベア・ハワード(中央)と熊写真提供:Sedona Historical Society |
先月号で紹介したトンプソン。その義母にあたるエリザベスが最愛の夫、アブラハムを病気で亡くしたのは、1881年の夏のことだった。その後、エリザベスはセドナに残り、10年後に再婚することになった。再婚の相手はベア・ハワード。彼の本名はジェシー・ジェファーソン・ハワードだ。その彼がベアと呼ばれ、自分もそう呼んだのは、訳があった。 |
ハワードの過去 |
ハワード家の記録によると、ジェシー・ジェファーソン・ハワードは、1817年にイリノイで生まれたようだ。彼の親はアイルランドとスコットランド系だった。 |
パティーマン家の登場写真提供:Sedona Historical Society |
そのころ(1870年代)にはハワードの長女、マティーは結婚し、夫スティーブン・パーティマンと長男のエマリーをもうけて家庭を持っていた。1879年に次男のジェスが生まれると、パーティマン一家は、アリゾナにいるベア・ハワードの近くに住むためカリフォルニアを後にした。その時、ハワードの長男、ジェスも旅を共にしてアリゾナに移った。 ハワード家、パーティマン家の家系図 |
ベア・ハワードの丸木小屋 写真提供:Sedona Historical Society |
それから6年後、マティーもスティーブンと別れることになる。22年の結婚生活だったが、スティーブンの酒癖が離婚の原因といわれる。しばらくして、マティーは5人の子供がいる男性ジェームス・クックと再婚し、自分の子供達に加えてジェームスの子供、そしてジェームスの馬の世話をし、牧場を守った。残念ながら、ジェームスも酒癖が悪く、結局再び離婚をしなければならなくなった。マティーは1951年に94才でこの世を去った。 |
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