HOME

カテゴリー別

このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

赤い山の町、セドナの魅惑

2005年12月号

 セドナは、アリゾナ屈指の観光地として脚光を浴びてきた。ボルテックスの不思議なる力を求め、あるいは芸術の極みを探し、あるいは自然美に魅了されて、人々は次々と訪れる

 今月から数回にわたってセドナの昔と今を探ってみよう。

 
セドナの地理

 セドナは、地理的にはバーデ・バリーと呼ばれるバリー(谷、または盆地)に含まれている。バーデとはスペイン語で「緑」の意。乾燥した砂漠を通って北上したスペイン人にとっては、緑の木々が茂っているこの地に到着して、生き返った気持ちになったのかもしれない。
 バーデ・バリーは、標高がやや高めの砂漠地帯で、モゴヨン・リムと呼ばれるアリゾナの中央を東西に横切って出来ている巨大なふちの南側に位置する。その北は、コロラド・プラトーと呼ばれる広大な高地となっている。

バーデ・リバーに沿って生える木々の緑

 

古生代のセドナ

 前カンブリア紀の岩が見つかっているバーデ・バリーは、この当時(18億年前)に地殻変動によって、火山活動が起こり、地下からマグマが飛び出した。この結果、金、銀、銅などの鉱脈が誕生する。
 その後、土砂の堆積が続いたり、海底に沈んだりして、変化に次ぐ変化を遂げる。3億5千万年前になると、アリゾナは赤道近辺に位置し、熱帯サンゴの海にあった。このころに形成されたのが現在のオーク・クリーク・キャニオンに見られる最古の底辺の地層だ。これはレッドウォール石灰石と呼ばれる。
 その後、スーパイ・グループと呼ばれる地層が形成される。このころ、バンゲアという超大型大陸が地球上に生まれ始める。バーデ・バリーの一帯は、このバンゲアの最も西側に位置していた。
 そして、2億7 千万年前、古代のロッキー山脈から河川が流れ込み、ハーミット層と呼ばれる地層が形成された。これが、現在のセドナの岩山の地層となっている。その後数百万年の間、浸食が繰り返され、セドナの岩の斜面が形成されていった。

なぜ赤い?

 岩が赤いのは、地層の中にある鉄分が長期にわたる酸化で赤土となったからだ。また、各所に白い地層が見えるのは、海岸に位置していたセドナで海水が繰り返し岩山に衝突し、水の中の石灰が地層に沈殿した結果である。

パンゲアの変化

  3,500万年前ころから、パンゲアがゆっくりと移動し、北アメリカがパンゲアから離れ始めると、他の岩盤と衝突し、この結果、現在のロッッキー山脈が形成される。同時に、アリゾナの西側と中央部が隆起し、隆起しない南アリゾナとの間に巨大な崖ふちが形成される。これをモゴヨン・リムと呼ぶ。
 その後、1,2000万年から1,500万年前の時期にオーク・クリークの川による浸食が行われ、現在のオーク・クリーク・キャニオンの形成となった。また、1,450万年前に現在のビレッジ・オブ・オーク・クリークで噴火が起こり、溶岩が現在のバーデ・バリーを覆い尽くした。そこで北の高地から川が流れ始め、これがバーデ・リバーの始まりとなる。

大自然が作り上げる未来のアリゾナ

  自然の浸食はこれまでも弛むことなく続き、これからも間断なく行われる。過去数百万年の大自然の力が現在のセドナを作り上げたが、これから数百万後には、現在のモゴヨン・リムは風と水の力で削り取られ、最終的にはグランド・キャニオンとつながり、アリゾナ北部は、巨大なキャニオンとなると予想されている。

人間の到着

バーデ・バリーに遺された古代人の住居跡

   セドナ形成の超遠な時の流れに比べれば、人間がこの地に入り込んで生活してきた歴史は誠に短い。と言っても、約1万年前の話となる。様々な種族の古代先住民が獲物を求め、水を求め、安住の地を求めてこの地にたどり着いた。セドナを含むバーデ・バリー一帯には、古代遺跡の数々が発掘されており、彼らのダイナミックな生活が私たちの想像力とともに、現代人に物語ってくれている。
 遠い昔の氷河期に、ベーリング海峡を渡ってアジアからアメリカ大陸に移動してきたといわれる古代人。彼らはマンモスを追い、アリゾナの地にも到着した跡が残っている。
 紀元後には、アナサジと呼ばれる古代人がこの地にやってきた。ナバホ族の言葉でアナサジとは「古代人」の意だ。ココペリというフルートを演奏する神の壁画がバーデ・バリーの古代遺跡で見つかっている。これは、アナサジが信じる音楽の神だった。今でもココペリはホピ族などで受け継がれている。
 彼らは、岸壁を削って洞窟を作って住居とした。その住居の壁には無数の壁画が刻まれている。
 また、紀元後6世紀ころにはシナワと呼ばれる先住民がバーデ・バリー一帯に住み着き、農業を行っている。
 インディアンの伝承によると、セドナは各種族の先住民にとって格好の集いの地であったようだ。遠方からセドナまで歩いて集った彼らは、休息と憩いの場所として
 セドナを楽しんだのだろう。かのアメリカが誇る詩人、ウォルト・ホイットマンもセドナを「遊び、魂を招く」場と表現している。南西部のインディアンがオーク・クリークの水に体を沈め、釣りを楽しみ、儀式を行い、セドナはまさに「癒し」の場所として重要な役を果たしていた。

 
関連記事
赤い山の町、セドナの魅惑(2)
赤い山の町、セドナの魅惑(3)
赤い山の町、セドナの魅惑(4)
赤い山の町、セドナの魅惑(5)
赤い山の町、セドナの魅惑(6)