このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
チャンドラー市
農業のメッカからハイテクの町へ(6)
2015年6月号
過去5回にわたり、チャンドラー市の変遷を探ってきたが、今月が最終回。今月は、このチャンドラー市の歴史を詳細に語っているチャンドラー歴史博物館を訪問しよう。 |
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避寒の家
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1937年、ミシガン州デトロイトに住んでいたウィリアム・マクロー(William McClullough)は、ミシガンの厳しい冬を逃れて、アリゾナに避寒を求めてやってきた。デトロイトで事業を営んでいた彼は、チャンドラー市のサン・マルコス・ホテルでアリゾナの冬を楽しむことにした。温暖な冬を過ごしていた彼は、アリゾナに家を建てることにした。そこで、附近の土地をさがし、ついに320エーカー(約40万坪)もの敷地を購入した。 |
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プライス家 |
現在、チャンドラー市には、プライス・ロード(Price Road)という道がある。このプライスというのは、チャンドラー市で活躍した弁護士の名前、「アーサー・プライス」からきている。 |
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ルイーズ・チャンドラー |
プライスは、アリゾナに移ってきて、チャンドラー家と親交を持っていくと、ある女性に巡り合った。それがルイーズ(Louise)だった。ルイーズは、ドクター・チャンドラーの姪にあたる女性だった。1914年、第一次世界大戦が始まり、プライスは、軍隊に入る。入隊して、戦場に送られる直前に、プライスは、ルイーズと結婚する。 |
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戦後のプライス |
戦争が終結し、アリゾナに戻ってきたプライスは、チャンドラー市で弁護士を始めた。同時に、土地を購入し、綿花やアルファルファの農作業も営んだ。彼が購入した土地は、現在のチャンドラー・ファッション・スクエア辺りで、プライス・ロードが走っている。 |
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プライスの家 |
1950年、プライス夫婦は、家を購入した。それは、マクローが1938年に建てた家屋だった。夫妻は1970年代までこの家に住んでいたが、1971年にアーサーが亡くなり、その後、ルイーズもこの世を去ると、しばらく家屋は、プライス家の子息たちがオーナーとなり、賃貸していた。1980年代まで、周辺一帯、綿花畑が広がっていたプライスの家だったが、その後、アリゾナの経済ブームで畑が急速に住宅街と商店街へと姿を変えていった。 300 Chandler Village Dr. S, Chandler, AZ 85226 |
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