このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
チャンドラー市
農業のメッカからハイテクの町へ(5)
2015年5月号
燦々と降り注ぐ太陽のもと、緑色の絨毯を敷きつめたような農場が広がる牧歌的なチャンドラーの町。ダウンタウンには、スペイン風の高級ホテルと広々とした街路。それは、創始者のドクター・チャンドラーが描いた理想像の町の姿だった。砂漠に用水路が完備し、まさに荒涼の砂漠がパラダイスと化した。そんな町から急速に農園が消え始め、そこにハイテク企業のビルと住宅街が出現し始めた。それが現在のチャンドラーだ。そこには、市の指導者達が描いた次の理想像があった。 |
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第二次世界大戦とチャンドラー
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1941年、パールハーバー襲撃で世の中は一変した。それは、小さな町、チャンドラーにおいても例外でなかった。米軍は、アメリカの参戦前からパイロット訓練場をチャンドラー市外の西隣に建設することを計画していた。そして、この訓練場の完成は、パールハーバー襲撃とほぼ同時期であった。アメリカの参戦で、訓練場周辺は、急にあわただしくなった。兵士が次々と送られてきて、チャンドラーの人口も急増した。 |
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ロジャーズ社 |
1832年にコネチカットでピーター・ロジャーズが織物材料の生産企業として創立したロジャーズ社がある。米国で最も歴史の古い企業の一つに数えられている。もともと板紙を作っていた会社が、その後、技術革新を重ねて、世界的なハイテク企業に成長した。 |
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チャンドラー市のリーダーシップ |
1970年代になると、チャンドラー市の市長を始め、各界リーダーが市の未来像を描き始めた。これまでの綿花畑が延々と広がる農業の町を、より多角的な産業構造を持つ都市に変革していこうと動き始めた。チャンドラーですでに成功していたロジャーズ社の発展を見て、彼らは、次の大手企業の誘致にターゲットを定めた。それは、カリフォルニア州にあるインテル社だった。 |
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インテル |
1968年にセミコンダクター企業として創立されたインテル社。1970年代のコンピューター産業の技術革新の中で、世界をリードするマイクロプロセッサ生産のトップ企業となった。このインテル社が1979年にチャンドラーに工場を建設。翌年1980年からこの工場が稼働を始めた。 |
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シリコン・デザートへの道 |
その後、インテル社の事業拡大が続き、チャンドラー市への経済インパクトは多大なものになってきた。インテル社の発展は、その関係の他社の誘致につながる。インテル社に製品を収める企業、技術提携をする企業など、次々とチャンドラー及びその周辺に社屋を求めてやってきた。 |
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