このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
チャンドラー市
農業のメッカからハイテクの町へ(3)
2015年3月号
チャンドラーの歴史も今月は3回目。綿花畑が広がるこの地に、本格的なリゾート・ホテルが出現する。このホテルは、アリゾナ初のリゾートとなった。チャンドラーの町の創始者チャンドラー氏が描く理想的な町に、なくてはならない建物。それがサン・マルコス・ホテルだった。 |
||||||
![]() |
||||||
建築家、ベントン
|
チャンドラー市ダウンタウンの象徴。それがサン・マルコス・ホテル(San Marcos Hotel)だ。アリゾナ史で最初の本格的なリゾートホテルとして、その建設は全米から注目された。それは、ホテルそのもの以上に、その設計を手がけた人物に所以している。 |
|||||
|
||||||
ベントンとスペイン統治ミッション建築 |
カリフォルニア州は、かつてメキシコの領土であり、スペイン統治の時代が長かった。そのため、各地にミッションと呼ばれるカトリック教宣教活動に使われた伝道所が建てられていた。18世紀から19世紀の間には、カリフォルニア州に21箇所ものミッションがあった。こうした建物の多くが年とともに老朽化し、歴史保存関係者や建築家などから修復または保存作業の必要性が訴えられた。この経緯の中で、建築家の彼はスペイン・ミッション風の建築設計に精通するようになっていった。彼が手がけたミッション風建築として有名なのは、カリフォルニア州リバーサイドにあるミッション・インで、1902年に完成している。 |
|||||
|
||||||
ベントンとチャンドラー |
当時、ミッション・インなど、ベントンが設計した建築に一目を置いた人間がいた。それがドクター・チャンドラーだった。チャンドラーは、そのころカリフォルニア州に住んでいて、灌漑技術を学んでいた。そのチャンドラーには、夢があった。それは、アリゾナのソルトリバーの周辺をカリフォルニアのパサデナのような町にしたいということだった。そんなチャンドラーの目に、ベントンの設計を見落とすわけがなかった。チャンドラーは、ベントンと会い、チャンドラーが描く町の姿を伝え、町の設計を頼んだ。チャンドラーにとって理想的な町。それは、町の大通りのスペースを広く取り、ゆったりとした風景を作ることだった。そして、その中心に比類なき超高級ホテルを出現させることだった。 |
|||||
|
|
|||||
サン・マルコス(San Marcos) |
こうして、チャンドラーの構想通り、ベントン設計のリゾート・ホテル建設が始まった。チャンドラーは、このホテルをサン・マルコスと命名した。それは、かつてこの地に初めて訪れたヨーロッパ人、フレー・マルコス・デ・ニサの名前を使ったのだ。マルコス・デ・ニサは、フランシスコ会修道士で、1531年にアメリカに渡り、ペルーグアテマラ、メキシコで熱心に布教活動をした。その後、メキシコのソノラ探検に送られ、アリゾナの南東部を横切った。その時に現在のチャンドラーやメサの一帯を通ったようだ。 |
|||||
|
|
|||||
工事開始 |
1912年5月にサン・マルコス・ホテルの建設工事が始まった。工事現場には、常時、16頭のラバと8人の作業員が土地の発掘作業を担った。翌年の冬までに完成させ、避寒を目的にアリゾナにやってくる観光客が迎えようとした。地元の新聞は、「アリゾナのパサデナ」が出現すると、書き立てていた。 |
|||||
|
||||||
ホテルの屋上に日本の茶室 |
ホテルは、火事による消失をできるだけ避けるために、木造ではなく、大量のコンクリートと鉄を使った。コンクリートは供給が需要に追いつかずに、苦労したようだ。完成後、ホテルの中で最も人気を博したのは、パティオとベランダで囲まれたビルの正面であった。ここで、宿泊客たちは、椅子に座って、リラックスし、世間話に花を咲かせる。そんな光景が常に見られた。 |
|||||
関連記事:
|