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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

生涯青春の町、サンシティー(2)

2006年8月号

 日本はもとより世界各国から人々が視察に訪れるサンシティー。

 今月は引き続き、サンシティーの出現のいきさつを見てみよう。

 

1960年グランド・オープニング(写真提供:Sun City Area Historical Society)

1960年グランド・オープニング(写真提供:Sun City Area Historical Society)

 サンシティー建設はデル・ウェブにとって大きな賭けだった。しかし、世界で初めてのリタイヤメント共同体の建設を巨額資金を投資して行うのは、まさにアメリカ的発想である。

 家屋の建設は当然として、ゴルフコース、ショッピング・センター、レクリエーション・センターを作り上げ、町そのものを誕生させることにあった。最初の一軒家が売れる前に、9つのゴルフコース、各種機能完全装備のレクリエーション・センター、ショッピング・センター、そしてその中にスーパーマーケット、床屋、薬局などが完成していなければならない。


 1959年12月にアリゾナ・リパブリック紙に見開き2ページの広告が掲載された。「アクティブな行き方を!」とのキャッチフレーズで翌年1960年元日のグランド・オープニングを約束したものだった。

長蛇の車の列。皆サンシティーのグランドオペーニングに向かった。(写真提供:Sun City Area Historical Society)

 この町の名前は一般から募ったが、「サンシティー」をウェブが気に入ったようで、公式にサンシティーとなった。


 さて、いよいよグランドオープニング。何人の人々が来るのか。前夜、つまり12月31日の大晦日の夜、従業員一同心配でゆっくり寝ることもできなかった。一応1万人をメドにしていたが、幕を開けるまでわからないのは当然だった。


 元旦午前8時。モデルハウスのオープニングだ。そこには長蛇の列の人々が待っていた。家の頭金はたったの500ドル。モデルハウスを見た人々は1時間以内に注文していく。何時間たっても外で待つ人の列は短くならない。多くの人々が長時間待ち続けている。スタッフは注文の受け取りで大わらわだ。ついに用意していた契約書が無くなってしまった。あわてたスタッフは近くの店で市販のレシートを買ってきて手書きで応対した。サンシティーを見ようと自動車で駆けつけた人々はその車の列が2マイルも続いているのに驚いた。新聞社、ラジオ局なども驚愕の報道をする。結局グランドオープニングに来た総数は1万どころではなく、10万人となった。3日続いたグランドオープニングで、237軒の家が注文され、総額250万ドルの売上となった。1月末までには400軒売れてしまった。

 
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