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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

北の里、フラッグスタッフの昔と今(2)

2005年5月号

 森に囲まれた清閑な町。そんな北の里にも変化に続く変化の歴史がある。

 先月に続いて今月もフラッグスタッフの過去を探ってみよう。

   
 初期の入植

 1882年に鉄道が開通し、フラッグスタッフに人と物が流れ込んできた。こうして、次々と入植が始まり、現在のMars Hillが「オールド・タウン」と後に呼ばれる繁華街となる。雑貨店2軒、ホテル2軒、鍛冶屋1軒、新聞売店1軒、パン屋1軒、食堂2軒、そして酒場が21軒もあり、まさに、酒とギャンブルに溢れた西部開拓の町となった。

  初期の入植者は、肉体労働者、機械工、製材人、カウボーイ、牛飼人など、息の荒い男たちが多く、銃声が時には町中に轟いていた。

製材所の出現

 フラッグスタッフの鉄道建設が決定した1880年、シカゴの実業家、エイヤーがフラッグスタッフで製材事業に着手した。工場は鉄道のすぐ南に建設され、大型のこぎりとベルトコンベヤーを入れ、事業はフル回転した。材木は、500頭から600頭物馬とラバを駆り出して運搬した。ある本には「鉄道がフラッグスタッフの父ならば、その母は製材所である」という記述が残っている。

学校

 その第一歩として、1882年に学校建設が始まった。彼らは、ヤバパイ郡にフラッグスタッフ学校区設置の請願書を提出。そして、すぐ承認された。

 1883年1月に初の学校がスタートした。それは、たった一部屋の建物だった。生徒は10人余。開始することはできた学校だが、維持することが大変だった。何せ小さなコミュニティーだ。公立学校と言えども資金調達が難しい。開校2ヶ月で郡の資金が枯渇した。そこで、何とか地元の牧場主から義援金をもらったり、親達が負担したりして、かろうじて学校を維持していった。

 1883年、地元住民が更に援助の手を伸ばし、新しい敷地に丸木で新校舎が建設された。製材所のエイヤーは、安価で木材を提供し、校舎の建設を助けた。この建物は、現在、北アリゾナ大学のブロム・ビルディングが立つ場所であった。

北アリゾナ大学、ブロム・ビルディング
町政の始まり

 1894年、フラッグスタッフは、いよいよ町政が正式になった。この新しい町は、教育を基礎に安全にして健全な共同体作りを目指した。そして、その理念を裏付けるように新たな施設が誕生していく。

ローウェレル天文台

 その重要な施設の一つがローウェル天文台だ。この天文台の誕生は、1894年。ボストンの裕福な天文学者、バーシバル・ローウェルがフラッグスタッフを天文台に最適な場所として選んだ。それは、標高の高さと澄み切った空に注目した彼の先見の明だった。

  ローウェルは、火星の研究に熱中していた。そして、アメリカ南西部のどこかに天文台を作るのに最適な場所はないかと、探していたのだ。

 そこで、ハーバード大学の若手教授、ダグラスを南西部に派遣した。ダグラスは、ニューメキシコに入り、それからアリゾナに着いた。アリゾナは、当時、準州だった。彼は、ツーソンから北上し、フェニックス、テンピ、プレスコット、アシュフォーク、そして、ついにフラッグスタッフにたどり着いた。そこで、持参して来た望遠鏡を町の西側にある丘の上に設置してみた。

  次の朝、ダグラスは、ローウェルに電報を送った。フラッグスタッフは「大変良い」地でであると報告したのだ。ローウェルは、その報告を受け取り、間も無くして、汽車でフラッグスタッフ入りした。そして、ここに天文台を作ろうと決心したのだ。

フラッグスタッフとサイエンス

 このローウェル天文台ができたことで、フラッグスタッフは、突然、国際的に注目の的となった。とりわけ、科学者の間では、フラッグスタッフへの関心度は極めて高くなっていった。グランドキャニオンの中継地のようなフラッグスタッフなので、グランドキャニオンの地質を調査する研究者や学生達も次々とフラッグスタッフに宿泊し、科学者で溢れるような日が増えてきた。

 その代表例がジョン・パウエルだ。1880年代から1890年代、有名な米国地質学研究会の局長だった彼は、コロラド川の調査のため、フラッグスタッフを訪問している。

北アリゾナ師範学校の始まり

 1893年、アリゾナ準州会議である法案が提出された。それは、フラッグスタッフに師範学校を創立することだった。この法案は、六年後の議会で可決した。当時の準州知事、マーフィーが法案に署名し成立した。この学校創立は、フラッグスタッフの町に大きな影響を及ぼす事になる。学校経営の資金は、準州から提供されるので、町の負担はなく、その上、若い学生が集まり、高い知性と活気が町の雰囲気を著しく変えていくことになる。かつての銃声が鳴り響く町から高等教育を誇る町へと変身していく。この師範学校が現在の北アリゾナ大学の前身である。

   
 
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