このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
テーブルトップの町、メサ(2)
2014年1月号
先住民の遺した用水路を再利用することで大きな恩恵を受けた初期のメサ。その後のアリゾナの発展とともにメサも成長してきた。 |
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アレクサンダー・ジョン・チャンドラー
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メサ市が正式に市として出発したのは、1883年。ここで先住民のホホカム族が遺した用水路を使って農業が始まった。そして、この古代の用水路を整備し近代化事業を可能にしたのが、アレクサンダー・ジョン・チャンドラー(Alexander John Chandler) であった。 |
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アリゾナ州とチャンドラーサン・マルコス・ホテル |
そのころには、アリゾナは準州となっていた(1863年)。アリゾナ準州政府は、デトロイトにいたチャンドラーに準州専任の獣医師として働かないかと話を持ちかけたのだ。すると、チャンドラーはその申し入れを快く受け、1887年にアリゾナにやってきた。不思議なことに、デトロイトで獣医をしていたころより、かなり収入減となったにもかかわらず、彼は当時の州都プレスコットに引っ越してきたのだ。 |
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チャンドラーとメサ市 |
このアレクサンダー・ジョン・チャンドラーこそ、初期のメサ市の基礎を作った人物となった。彼は、大型機械を駆使して、ホホカム族が遺した用水路の幅を広くして、より効率的な灌漑施設を作り上げた。その他、彼は、メサ市で初のビジネス街を建設し、その上、メサ市で初の電力会社をも立ち上げた。メサ市はこの電力会社を1917年にチャンドラーから買い取り、メサ市がアリゾナでは数少ない電力サービスを所有する町となった。 |
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戦争が助けたメサ市の発展 |
メサ市が著しい成長と変化を示し始めたのは、1940年代だ。それは、皮肉にも第二次世界大戦という戦争だった。この戦争には多くの航空機が戦力として使われ、パイロットの訓練が重要なカギを握ることになる。そこでパイロット訓練の最適な場所として選ばれたのがアリゾナだった。晴天に恵まれた空。眺望がきく大地。そして低廉な土地。アリゾナは、航空事業の関係者を魅了するに十分な場所だ。ちなみに、今日のアリゾナにおけるハイテク産業の礎を作ったのは、こうしたパイロット育成のためにアリゾナに入ってきた軍需施設や軍需関連産業だった。 |
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ファルコン・フィールド |
ファルコン・フィールドは、現在、メサ市営空港として活用されている。面白いことに、この空港を立ち上げたのは、軍事関係者ではなく、ハリウッドの映画関係者達だった。 |
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ウィリアムス空軍基地 |
ファルコン・フィールドがスタートした1941年。同じ年にメサの東端にウィリアムス空軍基地の工事も始まった。もともと米空軍が基地の場所として考えていたのは、チャンドラー市に隣接するヒラリバー・インディアン居留区の敷地内だった。ところが、この場所には、灌漑施設も未発達で、広大な荒れ地しかなかった。一方、メサ市は、空軍基地による巨大な経済効果を見越し、基地の誘致運動を起こした。市のセールスポイントは、鉄道の線路の完備、電力、水道、ガスのサービスを提供することだった。こうして、メサ市側の努力が実り、市内に基地が建設されることとなった。1941年6月に合衆国陸軍省が正式にメサでの基地建設を承認し、7月から建設工事が開始された。 |
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軍事利用から平和利用へ |
基地の閉鎖が行われるころ、フェニックスのスカイハーバー国際空港では、急増する飛行発着数に対してその対処に追われるようになっていた。もう一つ旅客機用の空港をフェニックスの近辺に見つけないとパンク状態になりかねないという憂慮の声が上がっていた。 大学キャンパスの誕生 |
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