このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
テーブルトップの町、メサ
2013年12月号
フェニックスの周辺地域の人口増加は、アリゾナに多大な影響を与えてきた。これまでも、様々な中心がフェニックスにありながらも、周辺の都市はそれぞれのユニークな個性を生かしながら、発展をしてきている。今回は、そのひとつ、メサ市を歩きながら、その歴史や役割などを探っていこう。 |
ダウンタウン |
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ホホカム族の遺跡
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現在のメサメサ・アーツ・センター |
メサ市は、フェニックス市の隣町テンピ市の東に位置し、すぐ北にはソルトリバー・ピマ・マリコパ・インディアン居留区、南にはチャンドラーとギルバート、そして東にはアパッチジャンクションといった市が隣接している。 |
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モルモン教徒が始めた町、メサリーハイ・ロードの標識 |
1830年にジョセフ・スミス・ジュニアによって始まったモルモン教。キリスト教の中では異端視され、迫害をのがれて、東部や中西部から西へ西へと移動し続けた。彼らの移動は、ある意味ではアメリカ西部開拓に歴史上、大きなインパクトを与えている。 |
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1877年に入植者によって最初に出来た建物の複製。 |
シリン・ハウス。1896年の建設。メサ市が買い取り補修した。 |
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次の入植団 |
ジョーンズら一行がリーハイに入植した翌年、今度はユタとアイダホの2州から85名のモルモン教徒がやってきた。先に入植していたジョーンズは、彼らをリーハイに招いたが、彼らはもう少し南の位置に定住することを決めた。そこは、周辺より少々高台になっている平地なので、メサと名付けた。メサとはスペイン語で「テーブルトップ」という意味だ。そして、この場所には、農業に不可欠な灌漑用水路跡が埋もれていたのだ。 |
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ホホカムの偉業 |
ホカム族は、北米の多くの古代先住民の中で用水路を築いて農業を営んだ唯一の民族である。とりわけ、ソルトリバーの水を灌漑用に利用し、川からまるで無数のタコの足のように何本も用水路を伸ばし、砂漠の荒野に農地を切り開いていた。その彼らの偉業は後になればなるほど、知られるようになる。 |
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メサで今も使われている用水路
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ジョン・ラッセル・バートレット |
1850年のアメリカ・メキシコ戦争の後、ジョン・ラッセル・バートレットがアメリカ合衆国・メキシコ国境調査委員に任命され、アリゾナにやってきた。彼は、ソルトリバー・バリーの北に大きな古墳があると聞き、地元の先住民、オドム族のガイドを雇ってその地を訪ねた。そこが、実は今のフェニックスだ。そして、今度は、1852年7月4日に、今のメサにやってきた。そこでも遺跡があったのだ。
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(上)バートレットのスケッチ |
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考古学者モアヘッドが描いたホホカム族の用水路。 |
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メサ・グランデ遺跡 |
ホホカム族の遺したソルトリバーに沿った大型の古墳は、現在2カ所しかない。それは、フェニックスの空港のすぐ北に、プエブロ・グランデ博物館考古学遺跡とメサ・グランデ遺跡だ。考古学者達の発掘によってわかっているのは、メサ・グランデの周辺にあった村落には約2,000人程の人たちが住んでいたようだ。ここを流れる用水路周辺には、約27,000エーカーもの広大な農地が広がり、農作物が大量に生産されていた。現在は、この地にメサ市やその周辺の町が広がっている。 |
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住所:1000 N. Date Street, Mesa, AZ 8520
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メサ市の誕生 |
話は、再び19世紀のモルモン教徒達の入植に戻る。 |
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