このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
かつての黄金探求の通路は今、、、
ユマの町を散策(3)
2013年4月号
今月は、先月に続いてユマの歴史を探ってみる。人々は夢を追って西へ西へと向かっていた。コロラド川を渡れば向こうは黄金の州、カリフォルニアだ。その手前の町、ユマは、白人、黒人、メキシコ人、アメリカ・インディアン、そして中国人と、様々な人々が交錯してドラマを作り上げていった。さあ、再び19世紀末のユマの町をしてみよう。 |
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ユマのパイオニア、レドンド(Redondo)ユマ刑務所州立歴史公園の中にある博物館に掲げられたレドンドの写真 |
ユマの草創期にその開拓の礎を築いたパイオニアの名は、ホセ・レドンド。メキシコのソノラ州にある小さな町、アルタルで生まれた。もともとスペインのカスチリアで富裕な一家だった彼の祖父母がメキシコに移り、この町に定住した。1848年にカリフォルニアで金鉱が見つかった。翌年19才のホセ・レドンドは、ゴールドラッシュの中に飛び込んでいた。1854年にアリゾナの砂漠を旅していた彼は、この荒れ地に果てしない可能性を見た。そして、1859年に再びアリゾナに戻り、今のユマ近辺に来たのだ。彼の見た可能性とは、農業だった。この砂漠に水さえ確保すれば、広大な農地が広がり、燦々と降りそそる太陽光線と温暖な気候で農業は必ず成功すると確信した。 |
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オーシャン・ツー・オーシャン・ブリッジ(Ocean-to-Ocean Bridge) |
現在、高速道路を通らないでユマからカリフォルニア州に行くには、この橋を渡らなければならない。それが、オーシャン・ツー・オーシャン・ブリッジと呼ばれる鉄橋だ。和訳すると「海と海をつなぐ橋」ということになる。ところが実際にこの橋が結んでいるのは、コロラド川のカリフォルニア側とアリゾナ側の土地である。海ではないのに、何故このような名前になったのだろうか。 |
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橋を前に無念の涙を飲んだ人たち |
1930年代このオーシャン・ツー・オーシャン・ブリッジには、カリフォルニア州警察が常駐した。というのは、当時の大恐慌で大量の失業者とその家族が仕事を求めてカリフォルニアに向かっていた。あのスタイベック著「怒りの葡萄」でも登場したオクラホマの農民が次々とカリフォルニアに向かっていくような姿がここにもあった。過剰なホームレス増加に業を煮やしたカリフォルニア州は、州警察を送った。彼らは、この橋を渡ろうとする人々を一人一人チェックし、カネも仕事のあてもない人たちは、カリフォルニアに入り込むことを許可しなかった。したがって、せっかくユマまでたどり着いた人々の多くは、その先への旅を断念し、ユマ周辺に残らざるを得なくなってしまった。ユマ準州刑務所跡は、こうした人たちが群れをなして住み込んだ。町の周辺は、難民キャンプのような有様だった。カリフォルニア行きを断念してユマに残った人たちの中には、その子供が後にユマの市会議員になっている人もいる。 |
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その後の橋 |
1970年代初頭に高速道路8号線が完成した。この高速道路は、この橋の上に橋を眺めるように走っている。1915年に出来たオーシャン・ツーオーシャン・ブリッジは、時の経過とともに老朽化し、その利用度は激減していくことになる。そして、1978年にはこの橋は、国定歴史建造物に指定され、その保存を国が保証することになった。1988年になると、自動車での橋の通過が禁止され、歩行者のみ利用が許された。そして、2001年、大規模な改修工事が行われ、翌年工事完成とともに再びオープンとなり、自動車も歩行者も両方が利用できるようになった。 |
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ユマ・クォーターマスター・デポ(ユマ補給倉庫) |
1864年に米陸軍の補給倉庫本部として出発したユマの重要拠点がある。これは、当時軍事的にも要所となっていたユマに駐屯する陸軍への食料や軍事物資を補給する使命を担っていた。大量の物資がカリフォルニアで船積みされると、そこから太平洋を南下し、メキシコのバハカリフォルニアの南先端まで行き、そこからメキシコ湾を北上した。そして、コロラド川の河口に入り、更に北上してユマに到着するという、気が遠くなるほどの長距離を長時間かけて運搬していた。積み降ろしされた物資は、この補給倉庫に保管され、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、ネバダ、ユタなどの最前線に配分されていった。従って、ここは蒸気船と馬車とラバと人が交錯して大変活気を擁していた。ちなみに運搬用に使われたラバは、900頭もいたようだ。 |
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ユマのレタス |
前述のレドンドの努力などで、ユマの農業は目覚ましい発展を遂げた。とりわけユマやその周辺で生産されるレタスは有名。全米の90%以上のレタスは、カリフォルニアとアリゾナで生産されている。その中心的役割を果たしてきたのは、何と言ってもコロラド川の水を利用して農地を開拓したユマである。毎年3月にはユマ・レタス・デイズとして週末にフェスティバルが行われる。これには、25,000人もの訪問者が集まり、レタスの品種やユマ農業の歴史などを学びながら、新鮮なレタスを楽しむ。ユマ郡は、全米第3位の農業生産地域となっている。その産出金額は、年間32億ドルで、アリゾナ全州の農業収入の3分の1を占めている。 |
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