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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

生き残ったゴーストタウン、ジェローム(3)

2005年3月号

 急速な繁栄と急速な衰退。ブームを作りブームを追った人々がブームの消滅とともに姿を消して行く。ジェロームもその運命をたどっていく。

 今月は、ジェローム特集の最終回。

   
 大恐慌

 1920年代には、ジェロームの人口は15,000人までになった。町中に鉱山で使うダイナマイトの爆音が轟き、その度に町の建物が振動した。ある時は、ダイナマイトが爆発した振動で、町の刑務所のビルが1区画先に動いてしまったという信じられないような話も残っている。

 1929年は世界大恐慌の年だった。失業者が町に溢れ、経済活動は完全にマヒしてしまった。銅の価格も急落し、全然価値のない物となった。その結果、ユナイテッド・バーデ社も閉業を余儀なくされた。こうして、1932年には、人口が4,000人にまで激減したのだ。

 1933年、フランクリン・ルーズベルト大統領が就任。彼は、かの有名なニューディール政策を発表して、経済復興を図った。これに呼応して、ジェロームも鉱山にも明るい兆しが見えてきた。

 1935年、フェルプス・ドッジ社はがユナイテッド・バーデ社を買収した。そして、老朽化した設備を最新のものに替え、労働条件も改善し、新たなスタートを切ったのだ。 

   
 第二次世界大戦

 そして、また戦争。

 銅は、弾丸、戦艦、通信ケーブルの生産に不可欠な資材だ。そこで、銅の需要は再び急上昇した。そして、設備投資が盛んに始まり、鉱脈をより効率的に見つけるためのハイテク技術が開発された。すると、新しい鉱脈が次々と発見されるようになった。ジェロームの鉱山は、再度、生まれ変わり、ここから、急ピッチで銅の鉱石が運び出されていくようになる。

   
ジェローム閉山への道

 ジェロームの繁栄にも終止符が打たれる時が来た。

 1950年、精錬工場から火災が発生し、全ての業務が停止してしまった。会社は、早速、ジェロームの労働者を他の鉱山に移動させ、ビスビーやアホの鉱山で仕事を継続させた。また、労働者だけでなく、ジェロームにある使用可能な機械は、全て、こうした他の鉱山に移動させてしまった。

 1953年1月30日の新聞の見出しには、「名高いジェロームの鉱山に最後の時が!」と大きく掲載された。人々が去った鉱山の町には、あの喧騒が嘘のように、静寂な丘が戻ってきた。空っぽの建物が立ち並び、掘り続けた山には、大きな穴が残った。人口15,000人も町は50人だけのゴーストタウンと化した。 

 1967年、 アメリカ連邦政府は、ジェロームの町を「アメリカ歴史保存地域」と認証した。多くの建物はそのまま保存され、今でも丘の上に立ち並んでいる。こうした建物でハイウエイ沿にあるものは、観光客を見据えて、レストランやギフトショップに変装した。

 ジェームズ・ダグラスの邸宅は、州政府が買い取り、州立公園博物館として生まれ変わった。館内には、当時の人々の生活を描写する展示物が並び、かつての鉱山の町を再現している。

 1983年、フォークシンガーのケイト・ウルフがこの地を訪れ、その後、「オールド・ジェローム」という歌を作った。この歌は、1987年に町議会が正式に町の歌と制定した。

 現在の人口は、329人(2000年国勢調査)。182所帯、84家族。そのほとんどが白人となっている。 

   
 ジェローム州立歴史公園:ダグラス・マンション

 ジェームズ・ダグラスの屋敷が博物館となっている。ダグラスは、1916年に鉱山に隣接してこの邸宅を建てた。ここは、企業の幹部、投資家などがジェロームを訪問してきた時に、彼らの宿泊場ともなり、人の出入りが激しかった。

 1965年に州政府がこの空き家を買収し、ジェロームの過去を伝える博物館とした。 

 リトル・デイジー・ホテル
ユナイテッド・バーデ病院(上)とクラーク小学校(下) 
 
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