このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
かつての州都、プレスコットの今昔物語(3)
2004年9月号
今月は先月に続き、プレスコットを訪問.準州の設置と同時に始まったプレスコットの町の歴史を見てみよう。 |
![]() |
戦死したプレスコットの現役市長ウィリアム・オニールの像 |
1898 年にアメリカがスペインに宣戦した。この背景には、1895 年にキューバがスペインからの独立に立ち上がり武装蜂起が起こる。ところが、関係のないアメリカにもとばっちりが飛んでしまった。キューバ沖にいたアメリカの戦艦メーン号がスペイン軍によって沈没されてしまったのだ。。アメリカは、キューバを解放するという口実でスペインとの戦争に突入した。この戦争はわずか半年で終了し、アメリカが圧倒的な力で勝利をした。この結果、アメリカはキューバの独立を達成したが、なんと, キューバと全く関係のないフィリピン、プエルトリコ、グアムを米国の植民地とすることができた。 |
プレスコットの交通 |
駅馬車
|
フランク・マーフィーの登場 |
アリゾナ準州の大資産家、フランク・マーフィーは、東部の投資家を引き寄せるにはアリゾナの発展が大切だと思っていた。そこで、鉄道建設に意欲を燃やし、アシュ・フォークからプレスコットにつながる新しい鉄道建設を考えた。そして、この鉄道は1892 年に完成した。すると、さらに、引き続きプレスコットからフェニックスまで鉄道を延ばし、1895 年についにアシュ・フォーク/フェニックス間が開通した。 |
プレスコット出身の州知事キャンベル |
アリゾナが準州から正式に州になったのが、1912 年。初代州知事はジョージ・ハント。第二代がトーマス・キャンベルだ。キャンベルは、1878 年にプレスコットの北、フォート・ウィップルに生まれた。彼の父は陸軍に従事していた。キャンベルは、プレスコットで育ち、1893 年のプレスコット高校の第一期卒業生の一人となった。その後、カリフォルニア州モラガの聖メリー・カレッジを卒業してアリゾナに戻って来る。そしてプレスコットとジェロームの郵便局で仕事をし、後に政界へ。1900 年に州会議員に選出され、共和党議員として活躍する。 |
1916 年の混乱選挙 |
1916 年、キャンンベルは、共和党選出で州知事選挙に出馬した。この選挙はアリゾナの政治史の中で最も接戦の知事選挙となった。彼は、若くて有能でエネルギーに満ちていた。 |
関連記事かつての州都、プレスコットの今昔物語(1)かつての州都、プレスコットの今昔物語(2) |