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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

アリゾナの州立大学(3)

2002年11月号

 アリゾナで最も古い歴史を持つ州立大学。それが、ツーソンのアリゾナ大学 (university of Arizona)だ。この大学の存在は、ツーソンだけでなく、アリゾナ全体に大きな影響を与え、今日も全米屈指の学問の府として位置づけられている。

 今月はこのアリゾナ大学のキャンパスを見てみよう。

   
歓迎されなかった大学創立

  アリゾナ大学は、今でこそツーソン市民が誇る最高教育学府となっているが、その出発は困難を極めた。

 当時ツーソンは、アリゾナ最大の町で1867年から1879年の間、準州(テリトリー)の州都であった。ところが、州都をプレスコットに奪われたツーソンは、州都奪回を目指す。そのころのアリゾナの各地は、収入源を求めて躍起になっていた。

 1885年、第13回準州議会が行われた。この議会は「泥棒の13回」とも呼ばれるほど、無謀で力と金にまかせて、各地域がそれぞれの利権を獲得しようと必死になった。州都、州拘置所、精神病院などを誘致することで財源を確保しようとしたのだ。従って、教育機関を重要視する者は少なかった。

 しのぎを削った州議会の結果、フェニックスは予算10万ドルの精神病院を獲得。テンピは、予算5千ドルで師範学校(後のASU)。ユマは、ヒラリバーの土手に新しい堤防を。プレスコットは、州都を。フローレンスは、ヒラリバーの橋を。そして、ツーソンが獲得したものは、2万5千ドルの大学だった。フェニックスの4分の1に過ぎない
 

 この額。ツーソン市民の落胆は想像を絶した。
 ピマ郡を代表して議会に出ていたのが、C.C.スティーブンス。彼は弁護士で、ツーソンに州都を取り戻すことができる有能な人間として議会に送り込まれた。

  彼はツーソンに戻り、説明会を行う。ところがツーソン市民の絶望と憤りは怒声となって彼を襲った。彼は、卵や腐った野菜を投げつけられ罵倒された。猫の死体まで飛んできたと言われている。

大学建設へ

オルード・メイン

 その中で、大学建設への希望を捨てなかった男がいた。ジェーコブ・マンスフェルドだった。彼は、大学評議会の一員に任命されていた。州法で、大学設立には40エーカーの土地を誰かが寄付する必要があった。ところが、ツーソンはもちろん、ピマ郡で誰一人として寄付に応じる者が出なかった。
 彼は、それでもあきらめず、自分でツーソンを歩いて用地を探し求めた。

 そして、ついに彼は、ツーソンの1マイル東に場所を見つけた。この敷地は、2人のギャンブラーが所有しており、交渉の結果、1886年11月27日に土地の譲渡にこぎ着いた。1年後1887年、10月27日に起工式が行われ、現在のオールド・メインの建物が建設されることになった。

アリゾナ州立博物館 (Arizona State Museum)

 キャンパス内に建つアリゾナで最も古く最大規模の考古学博物館。創立は1893年。アメリカ南西部のユニークな環境で生活した人間の歴史を1万3千年年までにさかのぼって見ることができる。
 アリゾナの地に生きたホホカム、モゴヨン、アナサジなどの古代先住民の遺した数々の宝を保存、展示している。
 もともとは、オールド・メインの一室からスタートし、1905年にダグラス・ビルディングに移動。そしてアグリカルチャー・ホール、アリゾナ・スタジアムなど場所を移した。現在のビルは(右写真)は、1925年に図書館として建てられたもの。

アンドリュー・ダグラス

 1906年にフラッグスタッフのローウェル天文台から物理学、地理学を教えるためにアリゾナ大学に。その後の偉業は、彼の名を世界にとどろかす。アリゾナ大学では、天文学部を創立し、アリゾナ大学スチュワート天文台を管理。36インチ天文台を設置する。樹木の年輪を研究し、太陽の諸現象が地球に与える影響を研究。この研究は、考古学に多大な影響を与え、古代インディアンの遺跡のなぞを
解く大きなカギともなった。

 

公式サイト
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