このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
人間の交流が生んだ
フェニックス日本親善庭園(4)
2017年1月号
過去3回にわたって扱ってきた「フェニックス日本親善庭園」も、今回が最終回。これからも末長く続いていくであろう庭園運営も、それを支えるボランティアの方々と運営管理側の人たちの努力が必要不可欠である。 |
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玲子レーヴィスさん(日本親善庭園事務局長) |
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京都出身。小さい頃から海外に興味があり、20代でアリゾナ州立大学に留学。大学では、リクリエーション観光管理学を専攻した。これが玲子さんの将来を決めるきっかけとなったようだ。そのクラスでフェニックス公園局の職員が教鞭を取っていた。その人から、「近々、日本庭園ができるから、ボランティアをしてみたらどうか」という話が出た。そこで、公園局に問い合わせ、ボランティアの仕事を始める。そして、大学卒業と同時にインターンシップを経て、就職できた。当時は、庭園建設の企画の段階で、姫路市とフェニックス公園局との間の様々な準備を手伝っていた。 |
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アイリーン・タキグチ(日本親善庭園会長) |
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玲子さんと二人三脚で活躍するアイリーンさん |
アイリーンさんは、父、実さんと母が正子さんの次女としてアリゾナで生まれた。両親共に帰米日系二世だ。家での会話は、日本語だったが、アイリーンさんは、親から日本語で話しかけられて、それを英語で返答していた。幼い頃から両親が頻繁に日本関係の活動に忙しく参加をしている姿を見てきた。また、農業を営んでいたので、小さい頃から農場に出て、仕事を手伝った。 |
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