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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

人間の交流が生んだ
フェニックス日本親善庭園(4)

2017年1月号

 過去3回にわたって扱ってきた「フェニックス日本親善庭園」も、今回が最終回。これからも末長く続いていくであろう庭園運営も、それを支えるボランティアの方々と運営管理側の人たちの努力が必要不可欠である。
 今回は、庭園の事務局長と理事長のお二人を紹介する。

玲子レーヴィスさん(日本親善庭園事務局長)
 
 

 京都出身。小さい頃から海外に興味があり、20代でアリゾナ州立大学に留学。大学では、リクリエーション観光管理学を専攻した。これが玲子さんの将来を決めるきっかけとなったようだ。そのクラスでフェニックス公園局の職員が教鞭を取っていた。その人から、「近々、日本庭園ができるから、ボランティアをしてみたらどうか」という話が出た。そこで、公園局に問い合わせ、ボランティアの仕事を始める。そして、大学卒業と同時にインターンシップを経て、就職できた。当時は、庭園建設の企画の段階で、姫路市とフェニックス公園局との間の様々な準備を手伝っていた。
 玲子さんの長期にわたる庭園運営の実績と実力が認められ、本年2月に庭園の事務局長に任命された。今では大変人気が上昇してきた庭園だが、1日数人しか訪問客が来なかった草創の時代もあった。紆余曲折の努力の結果、昨年の訪問者数は、47,000人にまで伸びてきた。2016年は、その数をさらに上回ることが予想されている。
 今後の庭園だが、次の5年以内を目標に、ビジターセンターや吾妻屋の建設が企画されている。ビジターセンターには、ギフトショップや教室などが設置される予定だ。
 ダウンタウンの喧騒から抜け出した静かなオアシスである庭園。活気を帯びつつあるフェニックスのダウンタウンに、大きな市民の憩いの場を提供している。「これからも、本来の日本の伝統を伝え続ける役目を帯びた庭園運営を心がけている」と言う。
 玲子さんは、「日本文化を少しでも伝えたいという日本人のボランティアの方々に是非とも来ていただきたい」と希望を述べる。

アイリーン・タキグチ(日本親善庭園会長)

玲子さんと二人三脚で活躍するアイリーンさん

 アイリーンさんは、父、実さんと母が正子さんの次女としてアリゾナで生まれた。両親共に帰米日系二世だ。家での会話は、日本語だったが、アイリーンさんは、親から日本語で話しかけられて、それを英語で返答していた。幼い頃から両親が頻繁に日本関係の活動に忙しく参加をしている姿を見てきた。また、農業を営んでいたので、小さい頃から農場に出て、仕事を手伝った。
 成長して高校生になると、高校生活も忙しく、少しずつ、日本関係の活動から遠のいていった。コロラドの大学では、言語病理学を専攻。手話をマスターする。
結婚してカリフォルニアに住んでいたが、父親の病気をきっかけに、夫婦でアリゾナに戻ってきた。
 アイリーンさんは、15年ほど前から庭園関係の活動にボランティアとして参加し始めた。初めは、ギフトショップを手伝った。そして、後に理事会の一員となる。
 庭園には、一月に800人もの訪問客が来る。年々、人気が高まる庭園だ。玲子さんと一緒に様々な運営活動に忙しい日々だ。
 アイリーンさんには、庭園のビジョンがある。
 まず、姉妹庭園交流である。
 フェニックスの日本庭園では、世界で初めての試みが行われている。それが、姉妹庭園交流というものだ。姉妹都市交流は各地で行われている。ところが、姉妹庭園交流というのは、現実化していない。そこで、フェニックスの日本親善庭園と姫路市の好古園が友好交流をしようということになった。これは、両庭園が様々な技術情報を提供して、文化交流を深めていくことが目標だ。
もう一つのビジョンは、フェニックスの日本庭園が地元の日本人社会/日系人社会とより深い関係を築きあげることである。より多くの地元の日本人/日系人の人たちが庭園を楽しみ、また、庭園を支援する運動を起こしていけたら素晴らしい、と訴える。
 ともあれ、これからも末長くフェニックス市民に定着していくこの日本庭園を育み支える彼女には、その情熱が燃えたぎっている。

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