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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

ホームステッドで生まれた町
ギルバート(2)

2016年1月号

ホームステッド法で自営農をスタートさせた初期の人たち。この砂漠の荒地に農業開拓が始まった。今回は、20世紀初期のギルバートから今日までの発展の様子を見てみよう。

 

広がる農園

全米各地からギルバートに移住してきた人たちは、農業の経験をある程度持っていた。彼らの経験を、この乾燥した荒地に生かして、農園を作るのが、彼らの最初の挑戦となった。まず、何と言っても水だ。まず、用水路から引いてきた水を貯めるために、穴を掘っていく作業から始まった。幸いにも土地は肥えていた。太陽光線はふんだんにある。ここで水を確保し、一生懸命働けば、農作物は育った。
初期の主な農作物は、綿農園から一大住宅街へ花とアルファルファだった。

学校

 

人が増えれば、そこに社会ができる。親にとって子供たちの教育は必要不可欠なものだ。当然、学校がギルバートにも出来上がる。一番最初のものは、教室が一部屋だけの学校で、1900年に出来上がった。
1913年にギルバート小学校が建設された。この学校は、ギルバートの初代市長であったエバレット・ウィルバーの寄贈だった。教室は4部屋で講堂があり、本格的な小学校のスタートとなった。もちろん当時のことで、エアコンも水道もなかった。小学生は85人という記録がある。
この建物は、1977年に閉鎖となったが、1977年に歴史保存の意味から、ギルバート歴史博物館としてオープンした。

   
農園から一大住宅街へ

ギルバートと言えば、長い間、農園が広がるちいさなコミュニティーだった。ところが、1980年代に入って、この町に大きな変化の胎動が起こり始めた。1971年、スーパースティション高速道路がフェニックスからテンピ、メサなど東に伸び始めた。そして、この高速道路が1981年にギルバート・ロードにまで拡張した。この高速道路の拡張は、フェニックスの東側に大型の新興住宅街を出現させることになる。隣のチャンドラー市はもちろん、ギルバートも急速な人口増加を示し始めた。
人口は、1940年の837人1970年の1,971人。そして、1990の30,112人から2010年の208,453へと飛躍的な発展をとげている。近年完成した高速道路、南ループ202号線によって、ギルバートは、町政を持つ町として最大級のものになっている。

 

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