このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
ホームステッドで生まれた町
ギルバート(2)
2016年1月号
ホームステッド法で自営農をスタートさせた初期の人たち。この砂漠の荒地に農業開拓が始まった。今回は、20世紀初期のギルバートから今日までの発展の様子を見てみよう。 |
![]() |
|
|
広がる農園 |
全米各地からギルバートに移住してきた人たちは、農業の経験をある程度持っていた。彼らの経験を、この乾燥した荒地に生かして、農園を作るのが、彼らの最初の挑戦となった。まず、何と言っても水だ。まず、用水路から引いてきた水を貯めるために、穴を掘っていく作業から始まった。幸いにも土地は肥えていた。太陽光線はふんだんにある。ここで水を確保し、一生懸命働けば、農作物は育った。 |
学校 |
|
人が増えれば、そこに社会ができる。親にとって子供たちの教育は必要不可欠なものだ。当然、学校がギルバートにも出来上がる。一番最初のものは、教室が一部屋だけの学校で、1900年に出来上がった。 |
|
農園から一大住宅街へ |
ギルバートと言えば、長い間、農園が広がるちいさなコミュニティーだった。ところが、1980年代に入って、この町に大きな変化の胎動が起こり始めた。1971年、スーパースティション高速道路がフェニックスからテンピ、メサなど東に伸び始めた。そして、この高速道路が1981年にギルバート・ロードにまで拡張した。この高速道路の拡張は、フェニックスの東側に大型の新興住宅街を出現させることになる。隣のチャンドラー市はもちろん、ギルバートも急速な人口増加を示し始めた。 |
![]() |
![]() |
関連記事 ホームステッドで生まれた町、ギルバート(1) |
|