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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

ホームステッドで生まれた町
ギルバート(1)

2015年12月号s

急発展を遂げたギルバート町。隣接するチャンドラー市とともに、フェニックスの近郊都市として、大きな存在になっている。そんなギルバートの町も、ゼロからの出発をしたのは、19世紀の終わりだった。
今月は、このギルバート町の歴史を見てみよう。

ホームステッド法

 

アメリカ合衆国で1862年に制定されたホームステッド法が、ギルバートをスタートさせるものだった。この法律は、アメリカ西部の未開地の1区画(160エーカー)を無償で払い下げるもので、自営農地法と呼ばれる。つまり、未開地に人を送り、そこで農業を始めると、そこの土地がその人のものとなる、という法律で、未開地を開拓する格好な奨励方策となった。
さて、開拓をしようとする者は、21歳以上の人間で、その土地に一定の大きさの住居を建てる。そして、5年間農業を行ったという実績を示すと、その土地が無償で自分のものとなる、ということだ。
ホームステッド法のお陰で人々が続々と西部開拓を目指していった。日本でも有名になったハリウッド映画「シェーン」も、こうした背景が浮き彫りにされた作品だった。また、トム・クルーズとニコール・キッドマン主演の「遥かなる大地へ(Far and Away)」も、オクラホマの土地を求めてアイルランドからアメリカにやってきた二人のストーリーだ。
ホームステッド法は、1976年に「連邦土地政策および管理法」の制定によって、その役割を終えることになった。

   
ギルバートにやってきた人々

ホームステッド法で、アリゾナの未開地を自分のものとしようと、このギルバートの地にもやってきた人たちがいる。もちろん、土地は無名の荒れ地だった。
まず、最初にギルバートで160エーカーの地の申請者となったのは、当時のアリゾナ準州知事であったコンラド・マヤー・ズリク(Conrad Myer Zulick)だった。1890年の記録に残っている。
その後、1891年には、ビー・バーストー・ハルシー(Bee Barstow Halsey)が入植。彼女は、この地で最初の女性入植者でホームステッドではなくキャッシュを払って土地を購入した。
その後、1898年にウイリアム・ギルバートがホームステッドで入植。彼の名前が町名となった。

 
   
 

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