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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

コロラド川の危機(1)

2013年8月号

 本年4月に米国の河川保護団体であるアメリカン・リバーズが、コロラド川を「国内で最も絶滅の危機にさらされている川」と発表した。アメリカ南西部のいわば生命線とも言えるコロラド川が、このままでは消滅するというのだ。この発表は、ショッキングなニュースとなって全世界、とりわけ米南西部を震撼させた。
 1986年以来、アメリカン・リバーズは、毎年「国内で最も絶滅の危機にさらされている川」を発表してきたが、2010年にもコロラド川をそのトップに挙げた。それほど危機に面している川なのだが、その水が頼みの私たちは、どうなるなどだろうか。
 今月は、そのコロラド川の実態を見ていきたい。

 アリゾナの北、ペイジの町に行くと、私たちの目に飛び込んで来る湖の背景。これは、巨大な人造湖、レイク・パウエルだ。満々と水を湛え、ボートや釣などを楽しむ観光客。この水は、ロッキー山脈の降雪が溶け、その水をコロラド川は運んできたものだ。はたしてこの川が消滅するとは、どんなことなのだろうか。
 コロラド川は、ロッキー山脈から延々と流れ、アリゾナ州とカリフォルニア州の州境を通る。そして、メキシコのバハカリフォルニア州とソノラ州の境界を通過し、カリフォルニア湾に到達している。ところが、近年は、その水が海に流れ込まないまま干上がってしまってというのだ。
 その原因は、何か。これは、需要供給の関係による。まず、水の需要。近代の目覚ましい人口増加で水の需要が急速に上昇してきた。それに対し、水の供給はというと、最近の慢性的な干ばつで減少してきている。つまり、供給が需要に追いつかないどころか、じりじりと減少する状況が続いている。これkら更に需要増加が予想されているので、このままでは、川が消滅する、ということになる。
 この簡単な原理が簡単な解決に結ばないのが現実の問題だ。複雑な利害のからみと政治のからみが現実をさらに複雑にしているのだ。

   
コロラド川とジョン・パウエル

 コロラド川を語るのに、ジョン・パウエルの功績を無視することは出来ない。正確にはジョン・ウェズリー・パウエル(John Wesley Powell)が彼の名。南北戦争で右腕を失ったパウエルは、勤勉で博学だった。経済的な事情で正式な教育を受けることができなかったが、独学で地質学と自然史を学んだ。そんな彼は、南北戦争が終ると、イリノイ州の大学で教鞭に立ち地質学を教えるようになる。また、イリノイ自然歴史博物館の創立に努力し、そこでキュレーターまでするようになっていた。
 常にアメリカ西部の探検に興味を持っていたパウエルは、ついにイリノイを去ってロッキー山脈を探検することにした。1867年、彼は、ワイオミング州のグリーン川とコロラド川の周辺を歩き回り、1869年には、グリーン川からコロラド川に入ってコロラド川を下り始めた。この探検には、9人の探検隊員と4隻のボートでスタートを切った。しかし、急流の激しさはその想像を絶し、探検の旅から脱落する隊員も何人かいた。
 精神的にも肉体的にも限界を越えるほどの状況で、パウエルの一隊は、ワイオンミング、コロラド、アリゾナと3州を下り、10カ月の厳しい長旅を終えた。この探検の果たした成果は、甚大であった。これで始めてグランド・キャニオンのことが明らかになり始めたからだ。
 たぶん、かつて多くの先住民がこの川を下り、グランド・キャニオンの壮大な自然に畏敬の念を感じてきたに違いない。パウエルは、歴史上最初の白人として、この地に踏み入れたのだ。
 その後、彼は1871年と72年に再度この地を訪れ、ここを「グランド・キャニオン」と名付けた。アリゾナとユタの州境にできた人造湖は、パウエルの死後60年以上後に完成したが、パウエルの偉業を称えて、「レイク・パウエル」と名付けられた。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

グランド・キャニオンを造ったコロラド川

 

 

 

 

 ジョン・パウエルが明らかにしたグランド・キャニオン。その後、多くの地質学者がその形成を研究してきた。
そしてわかったことは、グランド・キャニオン形成の主役がコロラド川だったということだ。
 もともとコロラド高原と呼ばれる平たい土地だった場所に地殻変動が起き、隆起するようになったのは、約6500万年前と言われる。この隆起が現在のロッキー山脈を作り上げた。山の頂に降る雪が解け、水が川を形成して標高の低い方向に流れ始める。これがコロラド川の始まりだ。土地の隆起が続き、山脈の標高が高くなればなるほど、川を流れる水の速度が早くなっていく。コロラド川は、現在のグランド・キャニオン一帯に流れ、土地の浸食を始める。最近の説では、約1700万年前がグランド・キャニオンの起源となるようだ。
 隆起活動が進むと、速度の速い川は岩を削る力を増す。氷河期が来ると、コロラド川の水量が増え、更に深く速く浸食していく。
 一方、530万年前に南方の地殻変動で土地が開いて湾ができた。これが現在のカリフォルニア湾だ。カリフォルニア湾が開くと、コロラド川が流れ込む。そして、その一帯にデルタ地帯が形成された。
 こうして、コロラド川の流れがロッキー山脈からカリフォルニア湾へと続くようになると、グランド・キャニオンの底がどんどん低くなる。そして、その底は、約120万年前までに現在の深さにまで達することになる。

 

 

 

 

コロラド川と人間

 人間は昔から水が豊富な土地で村を形成する。これまで多くの古代文明が川の周辺から発祥したのも事実だ。古代メソポタミア文明はチグリス川とユーフラテス川から。古代エジプト文明はナイル川から。古代インダス文明はインダス川から。中国の黄河文明は黄河から発祥した。
 コロラド川にもその昔から人々が生活をしていたことがわかっている。約12000年前にコロラド高原に古代人がやってきた。そして、コロラド川の周辺には約8000年前から狩猟部族が狩りや釣をして生活をし始めている。
 一方、アナサジ族と呼ばれる古代先住民がアリゾナやニューメキシコに移り住んできた。彼らの遺したものから判断すると1世紀ころから定住をはじめたようだ。また、ホホカム族も砂漠地帯に定住して、川から水を引き寄せて灌漑施設を作り上げ、農業をおこなった。11世紀には、コロラド川周辺にナバホ族、13世紀にはモハビ族が定住を始める。

 

 
人間社会が変えるコロラド川

 コロラド川は、人間社会に豊富な水量を提供し、人間の生活に欠くことができない存在となっていく。ところが、時々起こる氾濫は、人間の頭痛の種ともなる。
 そこで、人間にとってコロラド川の「治水」が必要不可欠となってきた。治水とは、水をコントロールすることである。これまで悠久の時間、コントロールされることなく流れていた川に向かって、人間がコントロールを始めた。
 まず、古代ホホカム族から学んだ灌漑設備だ。これで、農業用水のと飲料水の確保を可能とした。
次に、ダムの建設。これで、水力発電で電力の確保と氾濫の解消を可能とした。

(レイク・パウエルの遊覧船は貴重な観光収入源)
(ユマを流れるコロラド川は、誠に細い川幅となってしまった。)
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