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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

コロラド川の危機(4)

2013年11月号

 コロラド川の危機を過去3回にわたって誌上で扱ってきたが、今回は4回目。
 今回は、あまりアメリカで報道されてこなかったメキシコの状況を見てみよう。言うまでもなく、コロラド川の一番下流は、メキシコにある。上流で水を引き止め、農業やら工業やら飲料水やらと、使い込んでいけば、当然、下流へ流れ込む水は少なくなる。 本来、川は下流に行けば行く程、川幅も広くなり、水量も多くなるはずである。ところが、コロラド川は、逆になってしまった。そして、川が海に流れ込む一帯は、デルタ地帯となって、誠にバラエティーに富んだ生態系を作り上げているはずである。しかし、メキシコのデルタは、コロラド川が干上がってしまい、水が海にたどり着いていないのが現状である。
 今月は、この惨状に注目してみよう。

 

メキシコ国境前のコロラド川

 

コロラド川デルタ地帯

 1922年、博物学者のアルド・レオポルドは、カヌーを漕いでデルタの一帯を見て廻っていた。彼が描写したデルタは、「ミルクとハニーが混ざったような自然美」があり、何百もの緑色鮮やかな沼地が続いていた。ここには、シカ、リス、ラクーン、ボブキャット、ジャガー、そして無数のカエルや水鳥が住み着いていた。この200万エーカー(7,800平方キロメートル)もの広大なデルタには、大空一杯に舞う渡り鳥達が一時の住処を見つけていた。
 この地には、クカパと呼ばれる先住部族が、過去1,000年もの間住み着き、漁業で生活を営んでいた。トトアバという名のシーバスは、100キログラム以上にも育つ大型の魚だ。その魚が海からデルタ地帯に産卵のためやってくる。クカパ族にとっては、こうした魚が生活に欠かせない食料源でもあり収入減でもあった。クカパとは、「川の人々」という意味らしい。

   
コロラド川盟約

 レオポルドがこの美しいデルタをカヌーから眺めていたころ、アメリカでは、コロラド川の水利権を巡って激しい論争が行われていた。米国7州が競って水の確保を狙っていたからだ。そして、彼らが同意した水利権の分配がコロラド川盟約として成立したのだった。
 コロラド川の水は、カリフォルニア、ネバダ、ニューメキシコ、コロラド、ワイオミング、ユタ、そしてアリゾナの州がそれぞれ分配することに決められた。
しかし、その盟約に意見が全く反映されなかった、というより、全く無視されていた場所がある。それが、メキシコだ。つまり、アメリカ側が勝手に決めた水利権で、コロラド川の下流で生活しているメキシコへの配慮は皆無だったことになる。もちろんアメリカでは、こうしたことが報道されたり、米国民に知らされることはなかった。

   

 

 

 

フーバーダム

 

 

 

 

 

 1936年に完成したフーバーダムは、アメリカの知力と経済力と技術力を世に知らしめた一大事業だった。コロラド川の水を塞き止め、治水と発電を同時に可能とした。まさに20世紀の米国繁栄の象徴ともなった。ところが、このダムのお陰で、コロラド川の水がメキシコのデルタに届かないという結果を招くことになってしまったのだ。デルタの自然破壊は、この時期から急速に始まった。海水の塩分がデルタの大地に残り、地面に割れ目が出始めた。鳥が空を舞うことが少なくなった。魚がいなくなったからだ。
 悲惨なのはクカパ族の人々だ。生活の糧が失われていく。
 そこで、メキシコは米国に厳重な抗議を行う。しかし、時すでに遅しの感だった。
 アメリカでは、その後、次々とダムの建設が行われた。コロラド川の水確保は、人口急増の米南西部にとっては死活問題だった。そこで、デイビス、パーカー、インペリアルと巨大なダムが出現してくる。用水路もオール・アメリカン・カナル、コロラド・リバー・アケダクト、セントラル・アリゾナ・プロジェクトなど、塞き止めた水をどんどんと内陸に送り続けることに成功している。

   

 

二国間協定

 

 メキシコの抗議は続き、ついに1944年、メキシコとアメリカの両国がコロラド川の水利権に関して同意することになった。その結果、水の9割はアメリカ、1割がメキシコということで落ち着いた。メキシコ側は、水量もさることながら、水質も問題にしていた。メキシコ側に流れて来るコロラド川の水質がきわめて悪化していたからだ。しかし、この協定では、水質に関しては後ほどの協議ということで延期されている。

   
デルタの保護と修復へ

 メキシコと米国の2国間の交渉は遅遅として進まず、デルタの消滅は急速に進んだ。何万年かの時間が作り上げた自然美が100年もしない内になくなっていく。
 現在のデルタは、かつてのたった1%の規模しか残っていないというのが事実がある。
 その中で、1974年、メキシコ政府は、カリフォルニア湾の上部とコロラド川下流デルタを保護区域に指定した。その後、国連のユネスコがこの一帯の保護に乗り出した。1993年には、ここをバイオスフィア自然保護区域と指定。保護と修復への努力が始まった。しかし、メキシコと米国の両政府が真剣に腰を上げない限り、本格的な環境保護は可能とならない。
 失ったものは余りにも大きいのだ。

 

 
意外な自然界の回復能力

 枯れ切ったデルタ。しかし死滅してしまった訳ではない。このことが明るみになったのは、1980年代だった。アメリカ南西部には、これまでにない雨量が観測された。いきおい、コロラド川の水量が増加する。そして、ダムから放水が始まった。そして、この枯れ切ったデルタに水が入り込んできたのだ。するとどうだろうか。 湿地帯が急速に息を吹き返し始めたのだ。これが、1990年代初頭まで続いた。
 そして、再び、水が来なくなった。デルタは、当然、枯渇状態に戻ってしまった。
しかし、ここでわかったのは、自然の中にある回復力だった。水が戻れば、もとの素晴らしいデルタを回復することが可能である、ということだった。

   
再びメキシコ・アメリカの二国間協定

 2012年11月に、メキシコとアメリカの両国は、新たな出発をした。と言うのは、コロラド川の水に関して両国で協力してデルタの回復を目指すことに同意したからである。これは、1944年以来、画期的な再出発となった。これまでの非協力の歴史を過去のものとし、両者が手を取り合って環境保護に努力をしていくことを唱っている。今回の協定は、とりあえず次の5年を目指し、5年後にその成果を持ち寄って再度検討していくことになった。
 この協定では、レーク・ミードの水を一定量メキシコに割り当てることにし、両者が今後、効率的な水利用の新技術の共同開発、共同出資などを含んでいる。これから、大学、企業、公共機関などがそれぞれのエキスパートを提供しながら、進めていくことが、両者にとって有益となることを、お互いに確認し合った結果だ。
 今後の成り行きが注目される。
 ともあれ、自国の利益だけを追う時代に終止符を打ち、国際社会の一員として、地球規模の視点ですべてに取り組んでいかなければ、自滅の道を追うだけであることが、広く認識されるようになった。はたして、私たちは、あるいは私たちの次の世代は、コロラド川と共存して生きていくことができるだろうか。大きな課題が私たちの前に立ちはだかっている。

   
 
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