このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
カーチュナー洞窟州立公園(2)
2011年8月号
この洞窟の発見は、ランディー・タフツ(Randy Tufts)とゲイリー・テネン(Gary Tene)という二人の青年探検家によってなされた。時は1974年だった。しかしながら、発見後しばらくの間、その存在自体が公開されることなく、洞窟は、ひっそりとその姿を隠し続けて来た。 |
![]() |
||||
![]() |
|
||||
カーチュナー夫妻の碑 |
|||||
快挙の発見ディスカバリー・センター内の展示 |
ランディー・タフツは、1948年ツーソンで生まれた。彼は、高校生の時に「いつか誰も見たことのない洞窟を発見してみせる」と友人に語っていたという。そんな彼は、アリゾナ大学で地質学を専攻した。1973年に大学を卒業すると、洞窟発見に向ける情熱は更に燃え上がった。翌年、1974年、学生時代のルームメイトであったゲイリー・テネンと一緒にツーソンの南にあるウェットストン山(Whetstone Mountains)を目指したのだ。 |
||||
極秘事項 |
彼らが見つけたものは、地球の宝だった。人類の宝でもあった。これを多くの人が知ることになれば、残念ながら、宝の破壊は、時間の問題だ。彼らは、当初ただ誰にも言わずに、極秘事項として口を閉ざしてていることにした。しかし、いずれ将来、誰かがこの宝を見つけるかもしれない。極秘のままでいることがこの洞窟を守ることにつながらないと思うようになった。 |
||||
カーチュナー家公園内に建つ碑 |
1978年、彼らは、この洞窟の一帯を所有している地主、カーチュナー氏の自宅を訪ねた。そして、主人のジェームス・カーチュナーと面会して洞窟の話を持ち込んだのだ。彼らには、ひょっとしたら、カーチュナーが洞窟の保全に全く興味を示さないかもしれない、という懸念があった。大変心配だったのだ。ところが、ジェームス・カーチュナーは、彼らの話を聞いて、大いに乗り気になった。彼は、この洞窟の保全の必要性に同意し、商業化への開発を進めて、開発が完成し洞窟の保全が確保できるまで、このことを他言しないと固く約束してくれたのだった。 |
||||
州政府への働きかけ |
1985年、テネンとカーチュナーは、アリゾナ州公園局のオフィスを訪問する。そこで公園局に洞窟の発見を告げ、その保護の必要性を訴えた。その結果、公園局側は、当開発計画の技術的援助をすることに同意した。その後、テネンとタフツは、当時の州知事、ブルース・バビットを訪れる。バビット州知事は、大学で地質学を専攻していたことと、彼自身環境保全の運動家であったことから、すぐにその洞窟を見たいと申し出た。そこで、州知事の訪問のために、少し大きめな入り口を準備し、事故が起きないよう配慮して、州知事の来訪を待った。バビット州知事は、1985年4月5日に極秘に知事室を抜け出し、この洞窟を訪問した。鍾乳洞を見た彼は、心底感動したようだ。早速、州知事の指示でアリゾナ自然管理委員会が開発計画に参入するようになる。州知事の支援は大きなプラスとなって、様々なことが前に動き始めたのだ。 |
||||
州議会の動き |
変化に次ぐ変化の世の中。1987年に州知事が代わる。洞窟の開発計画に強い支援をしてきたバビットが知事職を去り、イバン・メカムが新州知事となった。ところが、間もなくこの州知事の汚職などが発覚し、弾劾運動が起こり、州政府は大きく揺れ始める。こうした状況下、州議会は明るい材料を探していた。同時にタフツとテネンの努力が実を結び始める。州議会の上院と下院で洞窟のビデオを議員に見せることが可能となったのだ。このビデオが政治家達に与えた衝撃は大きかった。その結果、州議会は洞窟の州立公園立法化に向かって歩み始めた。 |
||||
公園建設事業 |
いよいよ公園建設の工事が始まった。設計の焦点は、鍾乳洞の破損を極力避け、洞窟の保全を確保しながら、しかも一般市民が身近に大自然の美に接することにあった。総工費は2,800万ドル。そしてついに、11年後の1999年11月5日にカーチュナー洞窟州立公園が完成した。タフツとテネンにとっては、洞窟の保護が最大の焦点であった。そこでありとあらゆる可能な限りの手段が講じられた。たとえば、一般訪問者は、一日500人に限った。洞窟の入り口は、重いスチールの扉が二重に設置され、暑い外気の侵入をシャットアウトした。洞窟内の湿度は、最低97.5%に保ち、使用する照明用電灯は、出来る限り照明度を弱くし、光合成を行うコケなどが生えないようにした。まさにしのぎを削る努力と最大の英知が発揮されたのだ。 |
||||
パッションの人生、ランディー・タフツ |
タフツの情熱は、カーチュナー洞窟州立公園の誕生として実を結んだ。しかし、彼はこの多忙な過程にあっても世界各地を廻って、新たなものを学ぶことに余念がなかった。1980年代、彼はある学術論文に興味をいだいた。それは、木星の衛星、エウロパ(英語の発音でユーロパ)の話だった。エウロパは、表面が厚い氷で覆われいる星で、生命が存在する可能性があると指摘されている。これを知ったタフツは、カーチュナー洞窟に注ぎ込んだと同じ情熱をエウロパに向けた。もう一度勉強をと、アリゾナ大学の大学院で地球科学を専攻することにした。とにかく学びに学んだのだ。 |
||||
12年前に完成した州立公園は、現在、全米はもちろん世界各国で注目されてきている。1日の訪問者の数を限っているが、毎回のグループツアーは、ほぼ満席である。公園内には、ディスカバリー・センターと呼ばれる情報展示の建物があり、館内の展示の数々を熱心に見入っている訪問者達が目立つ。まさに、タフツとテネンの真剣な環境保全への決意がにじみ出ている公園となった。テネンは、タフツが亡くなった後のラジオのインタビューで、洞窟を我が子のように思っていると述べている。洞窟の発見が子供の誕生なら、その日から親としての責任を重々感じてきたらしい。 |
|||||
関連記事 |