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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

砂漠の自然美を後世に遺したボイス・トンプソン(2)

2011年6月号

 ボイス・トンプソン樹木園を歩くと東側の丘の上に大きな家が見えて来る。これが、いわゆる「ピケット・ポスト・マンション(Picket Post Mansion)と呼ばれる大邸宅だ。ボイス・トンプソンが自宅兼ゲストハウスとして建てたものだ。この建物は、普段開放されていない。内部は一般の人の目に触れることなく保存されてきた。一般開放するには、より多くのスタッフ要員と資金が必要なので、閉鎖されたままで今日まできた。
 ところが、今年の4月下旬と5月の始めに数日のみ公開することになった。関係者の話によると、公開することで入場料を集め、その資金を改装工事にあてることになったからだ。この日の来るのを長い間待っていた市民も多く、アリゾナの各地から一目内部を見ようと多数の訪問者が集って来た。
 今月は、このまれに見るチャンスであったピケット・ポスト・マンションの内部を訪ねてみた。歩くことにしよう。

 

 この邸宅の建築工事は1923年に始まり、5年間、100万ドルを費やして完成した。場所がトント国定森林公園の敷地内にあったために、米国森林局から許可を得て建設が行われた。この許可を得るために、ボイス・トンプソンは、彼が所有していた北アリゾナの敷地、293エーカーを森林局に譲渡している。また、彼は邸宅に隣接する敷地、108エーカーを購入し、樹木園を作ることにした。面白いのは、彼がエレベーターを設置したことだった。当時エレベーターを備えた家など、アリゾナにはまず皆無であった。しかし、ニューヨークに住んでいたトンプソンにとって、エレベーターは特にめずらしいものではなかったに違いないが、確かに必要性はあったようだ。このような険しい岩の上に建つ家に物を運ぶには、階段だけでは困難なことだった。エレベーターを付けた後、彼は家から見える日没を2回楽しんだという。まず、階下の窓からアリゾナの素晴らしい日没を見た後、エレベーターで階上に上がり、もう一度日の沈みを鑑賞したようだ。

 

 完成後間もなく、彼は、この邸宅を樹木園に寄付したので、邸宅は樹木園の一部となった。1930年にトンプソンが亡くなると、彼の邸宅および樹木園は、転々と違うオーナーの手に渡っていく。しかし、どのオーナーにとっても、このような大きな敷地と邸宅を維持管理するのは、なみ大抵なことではなかった。むしろ、財政的に大変な重荷となってしまっていた。一時はベッド・アンド・ブレックファーストという旅館業務に使われたこともあり、内部はその度に改装、改築が行われた。
 1963年、リチャード・ローズがここを買収した。彼は、この邸宅を「岩の上の城(Castle on the Rock)」と呼んだ。彼はツアーを組んで、訪問者を歓迎した。ところが、ローズが病気で体調を崩し、この「城」を維持できなくなってしまう。そこで、州政府がいよいよ腰を上げた。2008年にアリゾナ州が購入し、州の公園局が管理することになった。
 公園局では、この邸宅の改装工事を行ない、できるだけ1930年のオリジナルの姿に戻すことを企画している。近年州政府がかかえる財政難で、この計画の実行は困難をいくつも克服しなければならないが、2029年の100周年までには改築を完了したい意向だ。長い道のりが待っている。

 このマンションの南にピケット・ポストという山があることから、邸宅をピケット・ポスト・マンションと呼ぶようになった。
 歴史はさかのぼって、1870年11月。現在のスペリオーの地に初めて白人が入植してきた。そして、陸軍がアメリカ・インディアンを追撃しながら、この地に小さな軍隊の基地を作った。その基地から見える山をメキシコ人はトルディヨ(Tordillo)山と呼んでいたが、アメリカの兵士が「ピッケット・ポスト」と呼び始めた。こうして、この山は正式にピケット・ポスト山という名称となった。
 ボイス・トンプソンが作った邸宅は、この山の隣にあることから、この家をピケット・ポスト・マンションと呼ぶことになった。

 
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