このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
今も残る西部開拓の町、ウィッケンバーグ(2)
2009年12月号
先月に続いて、今月も西部の町、ウィッケンバーグを歩いてみよう。汽車の汽笛とカウボーイの靴音がいまだに聞こえてきそうなダウンタウン。冬場に入って、観光客の往来がますます増えていくであろう。 |
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金鉱発見後の町の発展とヘンリー・ウィッケンバーグ |
ウィッケンバーグは、バルチュア鉱山を発見後、その鉱山を売却し、現在のウィッケンバーグの町の近くに牧場を始めた。町には人口が増え、発展し始める。 1879年には町で最初の学校ができた。1893年には、サンタフェ鉄道が完成し、1895年にウィッケンバーグに駅が誕生した。こうして、アリゾナ屈指の町に数えられるようになると、当時のアリゾナ準州の州都の候補地にまで選ばれる。結果は、準州議会の投票の結果、州都はプレスコットが勝ち取った。 |
ウィッケンバーグと鉄道
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この町にとって鉄道の完成は大きな意義がある。金鉱の発見で金塊の安全にして確実な輸送は不可欠となっていた。また、カリフォルニアとアリゾナなどの西部を管轄する陸軍も、速度のある輸送手段を必要としていた。 |
ウィッケンバーグ商工会議所の事務局長、ジュリー・マシアス・ブルックさん。「マシアス」は彼女の母親の氏名で、もともとスペインから19世紀に移住してきた家族の血を引く。彼女の右横は、昔からウィッケンバーグ駅で使っていた金ルックサン。 |
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