このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
今も残る西部開拓の町、ウィッケンバーグ
2009年11月号
ウィッケンバーグは、フェニックスから北西に約50マイル余離れた砂漠の丘にある町だ。町の誕生は、1863年。アメリカは、まさにゴールドラッシュの最中にあった。人々は金を求めて、西へ西へと急いでいた。それから一世紀半後の今日。今でも19世紀の雰囲気が残るこの町、ウィッケンバーグ。 今月は、この西部開拓の町を散策してみよう。 |
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ヘンリー・ウィッケンバーグ (Henry Wickenburg) |
町の名前は、その産みの親、ヘンリー・ウィッケンバーグから来ている。オーストリアで生まれた彼は、20代でニューヨークに渡った。1847年のことだ。丁度その1年後に、カリフォルニアで金鉱が見つかり、一攫千金を狙う者が次々と西部を目指した。ウィッケンバーグもその一人で、1852年にサンフランシスコに移った。 |
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先住民の悲劇 |
スペイン人、そしてアングロの人たちが移住して来たアメリカには、常にその地にすでに生活をしていた先住民との軋轢の歴史が絶えなかった。ウィッケンバーグもその例外ではない。この周辺は、ハサヤンパ川の水を使って農業や狩猟を営むヤバパイ族が生活をしていた。白人の牧場主や農場主は、ヤバパイ族が水を使い、川で狩猟することに対して抗議を起こした。そして、ついにこの先住民を追放することにしたのだ。白人入植者達は、ヤバパイ族の村を襲撃し先住民を蹴散らしていった。ヤバパイ族も負けなかった。反撃を起こして対抗した。こうして、1860年代に約1000人もの先住民が命を失っていった。これをインディアン戦争と呼ぶ。この戦争に対して、ついに米連邦陸軍が介入した。そして、ヤバパイ族全員を特定の居留区に移住させることにしたのだ。 |
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