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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

壮大な実験の失敗と教訓、バイオスフィア2、その2

2008年5月号

 人間の夢は広大な宇宙と果てしなく広がる。月や火星に移住できたらどんな生活になるだろうか、、、。そのような未来がはたして来るだろうか、、、。こうして外へ外へと向かう夢を実現すべく、アリゾナにできたミニ地球の実験。そこで発見し始めたものは、いかに私たちが一番身近な地球そのものを知らないかということではなかろうか。地球温暖化の危機が叫ばれ始め、私たちの目がようかく足下に向かい始めた昨今、オラクルにできたバイオスフィア2の実験は、その賛否はともあれ、これからの人類の行き方に何らかの教訓を与えているようである。

 今月は、先月に続いてこのバイオスフィア2を歩いてみよう。

 

 
 
第一回ミッション(1991年9月26日~1993年9月26日)

 まず、第一回の実験生活が始まる。8名の科学者が密閉空間に入る。9月26日の初日には、多くの報道関係者がここに押し寄せ、その模様を取材しに来た。まるで宇宙飛行士がシャトルに乗るような後継だ。世界中が好奇の目で見ていた。当日はテレビのニュースは、このバイオスフェア2の話で持ち切りになっていた。
 実は、この8名の実験隊員は、5月1日から9月1日の間、1週間の内部滞在を9回にわたって試みている。念入りに準備に準備を重ねた実験生活が始まったのだ。全ては計算ではじき出されて、予定通りの結果が出るはずだった。

 
計算外のミニ地球環境

 まもなく、様々な問題が起き始めた。
 まず、食料不足。
 自給自足なので、外部からの食料補給はあり得ない。バナナはこの空間でよく育った。また、サツマイモやピーナツもよく栽培された。しかし、他の多くの植物は、予想以上に生長しなかった。日照不足と大気調整に問題があったようだ。連れて来た家畜はほとんど死んでしまった。彼等は、実験生活期間の後半に至る程、飢えを忍ぶような状況に追いやられた。


 次に酸素不足。
 計算では、空間内の大気は一定を保って安定するはずだった。ところが、酸素量が毎月0.3%の割で減り始めたのだ。ついには空間内の酸素量は、標高4,000フィートの高山の量と等しいまでになってしまった。最終的に酸素を外部から補給する方法しかなくなり、1月13日と8月26日の2回にわたって、酸素補給が行われた。この時点で密閉空間での実験という謳い文句がなくなったと、マスコミや他の科学者達から批判が起きる。
酸素が不足した原因を調査したところ、次のようなことがわかった。
まず、建設の時点で熱帯雨林やサバンナの場所に各地から大量の土砂を入れ込んでいた。この土砂の中には目には見えない無数の微生物が生きており、土砂と一緒に運ばれてきた。微生物は生物である限り、私たちと同様、酸素を吸って二酸化炭素を出す。微生物の量は最初から計算されていたわけでないので、この微生物が吸う酸素は計算外だった。また、光合成で二酸化炭素を吸収して、酸素を出す役割をする植物が、日照の不足で光合成が十分なされず、酸素を生産することが不十分となった。日照は、ガラスで遮られていて、思った通りの太陽光線が入ってこないのだ。

 3番目の問題は、二酸化炭素の不足だ。酸素が不足していれば、二酸化炭素が増えて、光合成が行われて酸素が増えるはずだった。ところが、二酸化炭素が不足していた。調査に次ぐ調査で判明したことは、二酸化炭素の多くがコンクリートに吸収されてしまっているということだった。大量のコンクリートがこの建物の土台や壁に使われていたが、このコンクリートが二酸化炭素を吸収するという計算はなかった。
 こうした大気調整の難航で、外から連れてきた家畜、鳥、昆虫の多くが生存できずに死んでしまった。
 次に空間内の科学者たちの心理的問題だ。2年間で8名だけの滞在で、外界から遮断され、しかも、酸素不足と食料不足などが起こす心理的なストレスは、計算されていなかった。彼らの精神的圧迫は、人間関係にも大きな影響を及ぼすことにもなった。心理的ストレスと食料不足で、実験終了時での8名の実験隊員の体重は、平均して14%減という結果が出ている。これも計算外であろう。

   
第二回ミッション

 二回目のミッションは、1994年3月6日に始まった。今回は7名で10ヶ月という計画だった。ところが、突然、科学者や管理者などの関係者間で大きな論争が起き、6月に突然SBVが解散。9月にはミッションを永久的に終結とするという結果となる。この背景には、期待していたような結果が出なかったことに、投資家エドワード・バスが腹を立てたことから、内部に亀裂が入ったようだ。彼は、多くの関係者を追放し、自分が一切の権限を握ることにした。その後、バスの決定を巡って訴訟問題まで起こっている。

 
その後のバイオスフィア2

 エドワード・バスは、SBVを解散した後、バイオスフィア2のオーナーとして、新たな方向を探していた。
 1995年に、バスはバイオスフィア2の管理をコロンビア大学に委譲した。コロンビア大学は、ここを教育施設として使い、2003年には1,200人もの学生がこの施設で宿泊し、生態系の研究活動をした。
 そして、2005年1月、バスはバイオスフィア2を売却すると発表した。そして、2006年、地元のディベロッパーがバイオスフェイア2の敷地とその周辺の不動産、計1,650エーカーを5000万ドルで買収した。翌年、アリゾナ大学がこの施設を3年のリース契約で合意し、研究施設として使用している。大学が支払う賃貸費は、何と、年間100ドルというから、ただ同然だ。バイオスフィア2の将来は全く未確定だが、現実に観光でこの施設を訪れる人々は絶えることなく、年間で100万ドルを越える収入を出している。

 
   
 
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