このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
トーティヤ・フラットとアパッチ・トレイル(1)
2008年2月号
ワイルド・ウェストを体験しようと、世界中から観光客が訪れるアリゾナ.その中でも一番ワイルドな西部をそのまま残したトーティヤ・フラット。人口6人を自負して、誠に小さく、しかし本物の西部を残している場所だ。 そして、その先には人工の湖が続く。山に沿って走る道、アパッチ・トレイルもまさに西部そのものだ。 今月はこの西部の荒野に足を踏み入れてみよう。 |
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フィッシュ・クリーク |
行き方 |
フェニックスを東に高速道路60号を走り、アパッチ・ジャンクションで州道88号を北東に上がる。サワロ・レークの湖をさらに進むと小さな町が見える。 これがトーティヤ・フラットだ。この88号線がアパッチ・トレイルと呼ばれている道路だ。トレイルとは動物や人間が歩いてできた山中の小道のこと。 |
「トーティヤ・フラット」とは? |
トーティヤとは元々食べ物の名前だ。コロンブスがアメリカ大陸に来るはるか前から、アメリカ先住民が主食としていたパンを指す。彼等はトウモロコシをアルカリ処理して、石の臼の上ですり潰して、生地を薄く延ばす。そして、それを焼いて薄く平たいパンにする。 |
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アリゾナのトーティヤ・フラット |
この地は長い間、アメリカ先住民が行き来する中継地となっていたようだ。そして、そこから山岳に登っていく道をヤバパイ・トレイルは呼ばれていいた。時はさかのぼって、16世紀。スペイン人のカベサ・デ・ヴァカがアメリカ大陸を探検していて、アメリカ・インディアンの捕まってしまった。その後、うまく逃亡を図って成功し、今のメキシコに到着する。そして、そこで、7つの黄金の町の話をした。北米には全てが黄金の町が7つもあるという。これを聞いたスペイン人達は、一斉にアメリカの黄金を探して、海を渡ってやってきたのだ。そして、その探検隊の一つがコロナドに率いられて、現在のフェニックス近辺にやってきた。彼等はスーパースティション・マウンテンも見たであろう。したがって、当然このトーティヤ・フラットあたりもスペイン人が往来していた。 |
20世紀の到来 |
フェニックス周辺の農業用水確保と電力供給のためにソルト・リバーにダムの建設が必要となった。マリコパ郡の調査によって、ルーズベルト・ダム(当時はトント・ダムと呼んだ)をソルト・リバー上流に建設することが決定すると、その建設機材などを運搬する道路を作らなければならない。そこでヤバパリ・トレイルに沿って道路建設が始まった。1903年のことだ。これには、400人ものピマ族とアパッチ族のアメリカ・インディアンがかり出された。白人の労働者を町から引っ張ってくるより、はるかに安くすむという計算だった。 |
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