このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
古代インディアンの遺跡あれこれ
2000年5月号
アリゾナは、古代に生活をしていた先住民が遺していった遺跡が各所で発見されてきた。考古学上、非常に貴重な資料が多く、また、私たち住民は、こうした遺跡に身近に接することもできる。 そこで今月号と来月号の連続で、彼ら古代人の遺跡を扱ってみることにした。 |
プエブロ・グランデ |
プエブロ・グランデ遺跡から発掘れた壺
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ホホカム(Hohokam)族の遺跡 |
ホホカム族は、アリゾナ中央部から南部にかけての広範囲の砂漠地帯に約1,500年ほど生活を営んでいた古代先住民。ホホカムとはピマ族の言葉で、「去った人々」という意味。 彼らの文化で傑出していたのは、用水路の建設だった。乾燥地帯に定住した農耕民族は水の確保が不可欠だった。現在のフェニックスを生んだ最大の要因が、彼らが残していった用水路であった。世代から世代へと伝えられた砂漠でのサバイバルを、彼らの遺跡から見ることができる。 考古学者によると、1,450年頃、彼らは突然全てを捨てて姿を消してしまった。その理由は、いろんな学説と推測が飛びかわっている。大旱魃、大洪水、聖職者やリーダーの腐敗、戦争などの可能性を探っているが、いまだに明確なことはわかっていない。 彼らは、農業を営み、綿花、とうもろこし、カボチャなどを栽培していた。そして、多くの壺やカゴが出土されている。 言語や文化性の類似点から、彼らは、今のホピ族やトホノ・オドム族の先祖ではないかと考えられている。 主な遺跡は、フェニックスにあるプエブロ・グランデとクーリッジにあるカサ・グランデである。 |
プエブロ・グランデ(Puebro Grande)フェニックス・スカイハーバー国際空港や高速道路に隣接した喧騒な都会の真ん中にある遺跡。彼らは、ソルトリバーの川から水を引き、用水路を張り巡らしながら村落を作った。 現在、フェニックス市が管理運営をしている。 |
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カサ・グランデ(Casa Grande)国立記念物の指定を受けている遺跡。3階建ての土塀のビルで、西暦1,300年代に作られた建物だ。この建物の周囲に小さな家屋が存在していた。この巨大な建物は、一体何なのかと考古学者が調べてきたが、最近の研究では、彼らがこの建物から大空を見て、太陽や星の動きを観測していたのではないかと考えられている。 |
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アナサジ(Anasazi)族の遺跡 |
アナサジ族は、紀元前数世紀に北米に定住し、文化を築き始めた。アナサジとは、ナバホ族の言葉で、「古代の人々」という意味。彼らの初期には洞窟に住居を構えていたが、その後、高度な建築技術を身につけ、土塀レンガで、2階や3階建ての家を作るようになった。その建物は、現在でもそのまま残っているものが多い。 約2,000年もの間、この地に住んでいたアナサジ族も、西暦1300年頃、全てを捨てて姿を消した。木の年輪から1275年から1299年の間に南西部で大旱魃が襲ったことがわかっているが、それが直接の原因かは不明だ。 文化、宗教、言語の研究から、現在、アリゾナ、ニューメキシコに住むプエブロが彼らの子孫ではないかと考えられている。 |
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グランド・キャニオン(ツサヤン遺跡)グランド・キャニオンのサウスリムにある遺跡。考古学者の研究では、西暦1100年代に建てられて村落と考えられている。 アメリカ歴史登録財に指定されている。 |
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キャニオン・デ・シェイ(Canyon de Chelly)西暦1060年から1275年の間、アナサジ族が居住した遺跡がキャニオン・デ・シェイ国立記念物の敷地内にある。遺跡は5ヶ所あり、それぞれ名前が付けられている。ホワイトハウス遺跡、スライディングロック遺跡、マミーケイブ遺跡、レッジ遺跡、そしてアンテロープハウス遺跡である。彼らは、クリフ・ドウェリングと言って、岸壁の洞窟で生活をしていた。 ホワイトハウス遺跡 |
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ホモロヴィ(Homolovi)遺跡フラッグスタッフから高速道路I-40号を東に走り、ウィンズローから87号線を北上すると、この遺跡にたどり着く。5ヶ所の遺跡があり、彼らは、西暦1400年代に姿を消した。アリゾナ州立公園となっている。 ペトリファイド・フォレスト(プエルコ遺跡)ペトリファイド・フォレスト国立公園は、考古学の宝庫だが、アナサジ族も長く生活していた。ここには、西暦1250年頃作られた建物が遺っている。また、彼らが石の表面に描いた絵の数々が興味深い。 |
古代の人たちは天文学者? |
アナサジ族は、アリゾナ、ニューメキシコ、ユラ、コロラドの4つの州が交錯するフォーコーナーズと呼ばれる地を中心に活動していた。とりわけ、ニューメキシコ州北東部には、彼らの遺跡が数多く見つかっている。 アナサジ族の中心村落は、チャコ・キャニオンにあった。ところが、他の部族に襲撃され、多くの人々が逃げた。その後、西暦1125年に飢饉が起き、彼らは完全にチャコ・キャニオンを引き払って、その北に移動した。この新しい定住の場には、アステク遺跡とサルモン遺跡が発見されている。 すると後に、再び大きな飢饉が発生した。そこで、彼らは、620キロメートルも南下し、そこに大きな集落を作った。ここは、カサズ・グランデスと呼ばれる遺跡が遺っている。 この彼らの移動の歴史を調べた学者が不思議な発見をした。 それは、チャコ・キャニオン、アステク、サルモン、カサズ・グランデスの4ヶ所が正確に経度108度上に位置していることだった。どのようにして、これほどの長距離に離れた場所にも関わらず、正確な経度の場所を選んだのだろうか。 彼らは、常に太陽と星の動きを見て、自分たちのいる位置を確認していたのであろうと推測されている。古代の天文学者たちが存在していたのであろうか。 |
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