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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

花崗岩の谷間に浮かぶワトソン湖の美

2022年1月号

 14億年も昔にこの地に流れ込んだ溶岩。温度が下がるにつれて、溶岩は巨大な岩石となり、そして長い年月の風化によって現在、花崗岩の谷と呼ばれる自然美の景勝地となった。これがプレスコット市の北東に広がる楕円形の岩が林立する場所、グラニット・デルズ(Granite Dells)である。
 今、その場所に人工湖ができ、市民の憩いの場の一つとなっている。
今月は、この人工湖、ワトソン湖を訪れ、周辺を散策してみよう。

不思議な形と色彩を持つ数々の岩とその姿を湖面に浮かべる湖は、自然の見事な調和の輝きを見せる
 
グラニット・デルズ(Granite Dells)
ひしめくように並んだ花崗岩

 

 

この地名の「グラニット」とは花崗岩。「デル」は、小さい谷の意味だ。花崗岩は、地下から噴き出たマグマが地上で冷えて固まった岩石である。アリゾナではよく花崗岩が見られるが、花崗岩は、風と雨とミネラルによって表面が少しずつ削られて、楕円形となってきている。
 プレスコットの北部に位置するグラニット・デルズと呼ばれる花崗岩の盆地に、人間が手を加えて、美しいワトソン湖を出現させた。

岩に登り、風景を楽しむ人たち
ワトソン湖、貯水池の建設

 20世紀の初頭、周辺の山からプレスコットに流れ込む水に目をつけたハサヤンパ・アルファルファ社が、この水を利用して、プレスコットに隣接するチノ・バリーに一大農場を作ろうと目論んだ。まず、水の確保のために、グラニット・クリークの川にダムを建設し、貯水池を作る。そして、そこに溜まった水をパイプで農地まで送るという企画だった。
 彼らは、1915年にグラニット・クリーク・ダムを完成させた。そして、そのダムで堰き止められた水が、ワトソン湖という人工湖を生み出したのだ。ワトソン湖のすぐ北にもやはり同時期にできた貯水池, ウイロー湖がある。
 ワトソン湖は、その水面に湖を囲む巨大な数々の岩の形と岩肌が幻想的な風景を作り出し、多くの人を魅了することになる。

   
ワトソン湖の名前は?
 

 前述のグラニット・クリーク・ダムを建設した会社、ハサヤンパ・アルファルファ社の社長、ジェームズ・ワトソンがワトソン湖の名前の由来だ。この会社は、インディアナ州の土地開発業者だった。
 彼は、インディアナ州選出の共和党下院議員を1909年まで務め、1916年に上院議員となった。

   
ダム完成式典
 

 当時の地元紙の報道によると、ダム完成式典は1915年4月8日に行われ、プレスコット市をあげての盛大な祝典となった。約1,200人もの参加者が集い、何百台もの車が周辺を埋めて駐車されたという。当時自動車を持っている人は、限られた富裕層であったので、他の人たちは、列車に乗ってプレスコットに来たようだ。
 ダムの上には、式典のステージが設けられ、スピーカーから流れる祝辞を述べる賓客の声が一帯に響いた。
 その日の午後にダムのゲイトが閉まり、貯水が始まった。そして、湖が満水になるまで数週間かかった。

   
ロシア移民の到着

 さて、チノ・バリーに大農場を作る目的で出現した貯水湖。プレスコット市はもとより、ヤバパイ郡揚げて、世界に宣伝をし、農家を募った。
 そこに、思いもかけぬ100人以上のロシア人がやって来たのだ。彼らは、1916年の1月12日に汽車でチノ・バリーに到着した。1916年と言えば、ロシア革命が起きる前年である。ロシアの社会は騒然としていた。労働運動が過激化し、革命運動が強まっていた。政府弾圧の厳しさが極まっていき、流血に次ぐ流血の日々が続いていた。
 そんな時期に、多くのロシア人が国を去り、平和な地で農業をするために、遠方はるばるアリゾナに来たのだ。
 彼らは、151頭の牛、103頭の馬、そして、鶏、ガチョウ、家財道具を運んできた。
このロシア人たちを見たプレスコットの人々は、興奮高まって、彼らを大歓迎した。多くが既に英語を学び、地元に溶け込む用意があったと、当時の新聞は伝えている。
 彼らは、早速、2,500エーカーもの大地を耕し、 20件もの家を作り、学校を建て、一つの大きなコミュニティーが出現した。

   
ハサヤンパ・アルファルファ社とロシア移民

 全てが順調に進むように見えた。ところが、彼らの到着とほぼ同時に予想外の自然災害がアリゾナを襲ったのだ。ちょうどロシア移民がチノ・バリーに到着した1916年1月、北アリゾナに猛吹雪が荒れ狂い、その結果、大洪水が起こった。そして、貯水湖からチノ・バリーに灌漑水を運ぶ用水路が壊れ、修理工事をしなくてはならなくなった。しかも、工事完成に時間がかかり、チノ・バリーの農家に深刻な水不足の問題を引き起こした。プレスコット市議会は、チノ・バリーのロシア人農家の存在が大きな価値を生んできたことを認め、市をあげて水供給に努め、かろうじて第一年目の農作物は無事に育てることができたのである。
 その後は、移民農家が自ら用水路を建設し、ハサヤンパ・アルファルファ社がその工事費を賄うことになっていた。ところが、会社も修理工事に巨額を費やしたため、経済的に打撃を受けていたようで、支払いが進まないままになっていた。
 移民農家は、会社を相手取って訴訟を起こすが、ハサヤンパ・アルファルファ社は倒産という事態に陥ってしまっていた。

   
その後のロシア移民農家

 こうして、工事費の支払いも受けらず、水の十分な供給も約束されない状況に、ロシア移民農家は、意を決し、全員がチノ・バリーを去り、条件のより良い場所に引っ越しをすることにした。
 1921年、移民してたった5年で、ロシア農民たちは、全ての牛、馬、鶏、生活用品を汽車に乗せて、チノ・バリーを後にし、南に向かった。さて、彼らの新居を、フェニックスの郊外、グレンデールにしたのであった。グレンデールには、農業用水が確保されていたからである。
 今でも、ロシアの苗字を持った家族がグレンデール市内に多く見られる。その多くは、このロシア移民の家系を継いだ人たちである。

   
ワトソン湖公園(Watson Lake Park)

 

 

 1997年、プレスコット市は、ワトソン湖とその周辺の敷地を買収し、市民のためのリクリエーション公園を作った。
 ここでは、釣り、ボート、ピクニック、ハイキング、キャンプができるようになっている。

ボート乗りを楽しむ家族連れ

開園時間:午前7時から午後10時(夏)
     午前7時から日没(冬)
駐車料金:一台につき3ドル

   
ワトソン林(Watson Woods)

 

 ワトソン湖に隣接しているワトソン林には、生い茂った木々に様々な鳥たちが生息しており、愛鳥家が頻繁に訪れる。ここには、静かに流れる小川に沿って、ポプラやヤナギの木々が、約1,000エーカーもの大地に広がった林の地域である。しかし、長い間、牛の放し飼いや、不法なゴミ捨て、木の伐採などが続き、自然が破壊され続けていた。
 1995年、プレスコット市が126エーカーの敷地を買い取り、保護地域に指定して、自然保護に乗り出した。こうして、自然環境が良くなり、鳥、小動物、魚、爬虫類などが戻って来るようになったのである。
開園時間:午前10時から午後10時まで(夏)
     午前10時から日没まで(冬)
入園/駐車:無料
駐車場/トイレ:完備

様々な鳥たちが飛び交うワトソン林とワトソン湖
   
公式サイト