HOME

カテゴリー別

このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

カードが決めた町名、ショーロー

2021年8月号

 アリゾナには、興味深い名前を持つ町が多いが、ショーローもその一つだ。この町の名前がカードのゲームから生まれたことで、市のロゴは、アリゾナの州旗を背景にしたカードを使っている。
今月は、このユニークな名前を持つショーローの町を訪れてみた。

 

ショーローの市庁舎
市庁舎の横には、1935年の市の刑務所が歴史保存の資料として置かれている
 
 
   
二人のカウボーイ

 

 

 

 

 

 1846年、米墨戦争でアメリカが勝利すると、アリゾナには、次々と白人が入植してきた。こうした新参者たちは、古くからこの地に住む先住民との間で様々な確執を経験することになった。特に、アパッチ族の執拗な反抗に対して、軍事力で抑えようとするアメリカ軍との衝突が繰り返し起こっていた。アメリカ軍は、アリゾナ東部の山間に居留区を作って、アパッチ族を強制的に移住させた。そこにできたのがフォート・アパッチ(アパッチ砦)である。ちょうど、アパッチ族の戦士、ジェロニモが出没していた時代だ。
 このフォート・アパッチで、アメリカ軍の偵察隊員だったコリドン・クーリー(Corydon Cooley)は、その近くに牧場を開くことにした。そして、彼の友人、マリオン・クラーク(Marion Clark)がパートナーとして牧場の共同経営に参加した。時は、1870年代。彼らが牧場を開くために選んだこの地は、小さな川が流れ、水の確保に困らない場所であった。また、標高が高く、気候も牧場経営に理想的なロケーションだった。
 クーリーとクラークは、よくカードで遊んで時を一緒に過ごした。しかし、経営パートナーの二人だったが、友人とはいえ、やはり、いろいろと意見の違いが出てきた。ある日、彼らは、この地で二人別々の牧場を経営した方が良いが、それが可能なほど、ここは、広くないという話をしていた。しかし、話の要点は、牧場の広さではなく、一緒にやっていくのは難しいということだった。そこで、共同経営をやめ、どちらか一人がこの地を去るという話になった。そこで、セブンナップというカードゲームをして、どちらか小さい数のカードを出した者が勝利。そして、その勝者がこの地に残る。一方、敗者はこの地を去るということなったのである。
 カードの数をショー(show=示す)し、ロー(low=低い)数が「勝ち」というゲームをしたのだ。ゲームの結果はすぐ出た。クーリーが出したカードの数がクラークより小さい数だったのだ。そこで、クーリーが残り、クラークは去ることとなった。クーリーにとって、その時以来、「ショーロー」は謳い文句のようになった。1880年、彼は、このカードの話をフォート・アパッチで人々に自慢げに話したという。
 ただし、実際にこのようなカードのゲームが行われたかどうか、歴史的に証明する者はいないので、実証できないが、このカードの話は、当時、西部に住む多くの人の興味を誘い、有名な逸話となった。この地には、1880年に郵便局ができ、そこで「ショーロー」の名が正式に使われている。

 

ホワイト・マウンテンズの入り口

 ショーローは、ホワイト・マウンテンズと呼ばれる山脈の玄関口に当たる町で、夏は避暑地、冬はスキー・リゾートの場所として、年間、訪問客が絶えない場所である。ショーローの標高は、6,345フィート(1,934メートル)。ホワイト・マウンテンズで一番標高が高い所が11,420フィート(3,481メートル)で、富士山よりも高い。こうした高山に隣接した町なので、観光客の往来が激しい。こうした観光客に狙いを定めたホテルやレストラン、ギフトショップも立ち並んでいる。
また、この近辺は、フェニックスや州外の人たちが別荘を持つことでも知られているが、ハリウッド俳優で「スタートリック」の映画に出演した日系人、ジョージ・タケイもここに別荘を構えている。
ちなみに、ショーローが正式に市の行政を制定したのは、1953年で、それ以来、着実に緩やかな成長を続け、現在の人口は、11,000を超える。

 

ショーロー周辺には豊かな自然が広がる