HOME

カテゴリー別

このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

秋燃ゆるウエスト・フォーク

2021年11月号

 アリゾナで最も美しい紅葉が広がる地、それがウエスト・フォークである。年間を通して人気の高いハイキングコースが多くの人々を魅了しているが、とりわけ、秋になると、紅葉の山に多くのビジターがやってくる。家族連れ、写真家、ハイカーなどが次々とこの地を目指し、駐車場に入りきれないほど夥しい数の車が、まるで蛇のように長く連なって、狭いハイウエイの道端に止められている。
 今月は、このウエスト・フォークをハイクして、燃ゆる秋のひと時を過ごしてみよう。

紅葉と赤い岩の調和美
   
クリークの水面に浮かぶウエスト・フォークの木々
 
ウエスト・フォーク

 

 

 

 

 

 ここは、観光名所、セドナの町の北、オーククリーク・キャニオンという山間の谷間に位置している。オーククリークは、小さな川で、フラッグスタッフからセドナの間を流れ、その川の流れが作り上げた峡谷をオーククリーク・キャニオンと呼ぶ。峡谷は、12マイル(19 km)の長さで、その幅は、0.8マイルから2.5マイル(1.3 km から 4.0 km)。セドナを通過した川は、その後、南下し、バーデ川に合流する。
 ウエスト・フォークは、オーククリーク・キャニオンを走るハイウェイ89A号線の西側にあり、ウエスト・フォーク・オーククリークという小川の流れに沿ってハイキングコースが作られている。
 ここは、ココニノ国有森林地帯で、国有林の絶壁、小川、渓谷沿いの絶景が多くの人々の人気を奪い、秋に現れる鮮やかな紅葉は、日本の紅葉を思わせるような景観を見せてくれる。その名の通り、素晴らしいオーク(柏)の木々が茂り、その上、カエデ、サッサフラス、ヒッコリーなどがその葉の美を披露してくれる。

 

地面に広がる落ち葉の数々
   
ハイキングコース
この橋を渡ると本格的なハイキングコースが始まる

 

 ウエスト・フォークのハイキングは、極めて人気が高い場所なので、朝早めに到着するのがオススメ。理由は、駐車場だ。この駐車場は、ココニノ国有森林が管理しているが、午前中で一杯になる。したがって、駐車できない人たちは、当然、道に車を止める以外ない。ところが、これも難事で、人によっては、かなり離れた場所に駐車し、そこから歩いてウェスト・フォークの入り口に向かう。
 ウエスト・フォークは、午前8時にオープンする。運よく駐車できると、車一台につき、11ドルの入場料を払う。道路に駐車して歩いて入ってくるハイカーは、ひとりにつき2ドル。自転車で入る場合も同様に2ドルとなっている。犬を連れてくることは許可されているが、必ず犬をクサリでつながなければならない。
 さて、支払いを終え、歩き始めると、橋が見えてくる。この橋を渡ると本格的なハイキングが始まる。普通に歩けば、往復3時間くらいの道のりだ。時々、クリーク(小川)を渡る場所があるので、足や靴が濡れる。川の中の石と石の上を器用にジャンプして、向こう岸に渡る人も多い。

赤い岩の絶壁も見せ場を作ってくれる

 

   

 

   
メイヒュー・ロッジ(Mayhew Lodge)
駐車場からハイキングコースに向かう道

 

 ハイキングトコースを歩いていると、レンガ造りの小さな壁が見えてくる。一体誰がこんな所に住んでいたのだろうか。
実は、ここにメイヒュー・ロッジという小さな宿泊場があった。その建物の一部が今も残り、生い茂る木々の中で密かに立っているのだ。このロッジがオープンしたのは、1926年。ここで、宿泊施設と朝食が旅行者に提供された。赤い岩と澄み切った青空。そして静かな森林に囲まれたこのロッジには、様々な有名人が訪れ、アリゾナの旅を楽しんだ。映画スター、政治家、作家、そして、フーバー大統領もその一人だった。

およそ100年前のロッジ跡

 

   
その背景

 時代は、19世紀。1870年代のことだ。現在のようなオーククリーク・キャニオンを通り抜けるような道路は、まだ存在していない頃、ある白人男性がこの地に丸木小屋を建てた。この男の名は、ベア・ハワード。本名は、ジェシー・ジェファーソン・ハワード。熊狩の名人となって、ベア(クマ)と呼ばれるようになった。背丈が6フィート4インチ(193 cm)の巨体で、まるでクマのように見えるほどだった。当時、多くの入植者たちは、頻繁に出没するクマに頭を痛めていた。そこで、彼がハンターとしてこの地に足を入れたのだ。彼は、ナイフ一つでクマを殺し、その肉を食肉店、レストラン、そして鉄道工事の労働者が寝泊まっているテントに売り歩いた。そんな彼が住んでいた家は、自分で作った丸木小屋一つだった。この丸木小屋が将来多くの人を惹きつける場所になるとは、誰も想像していなかったに違いない。

ベア・ハワード(写真の中央)が殺した熊の数々
ベア・ハワードが作った小屋
写真提供(Sedona Historical Society)
   
ハワードの丸木小屋
ゼイン・グレイが死んでいた山小屋の複製(ペイソン)。山小屋は山火事で消失したが、グレイの残した業績を後世に伝えるため、複製を作り、一般に公開している。

 

 ハワードが作った丸木小屋は、後にトーマス家が買い取った。この一家は、その丸木小屋を大きな住居に建て替え、その周りに果樹園を作りリンゴを栽培した。すると、周りの風景と調和した魅力的な建物になったようだ。
その頃、西部の広大な自然と夢溢れる開拓地を題材にして小説を書き上げていた有名な作家、ゼイン・グレイ(Zane Grey)がこの地を訪れた。彼は、この一帯に魅了されてしまった。そこで、小説「コール・オブ・ザ・キャニオン(Call of the Canyon)」を執筆し、この地の美を歌いあげた。
 その小説は、瞬く間にアメリカ人の人気を呼んだ。そこで、その小説をもとに無声映画が誕生することになった。映画のロケーションはもちろん、この美しいオーククリーク・キャニオンである。
 さて、その時、この映画制作会社は、ある写真家を雇った。それがカール・メイヒューというカメラマンだった。彼は、映画のロケーションに来て、この建物と周囲の自然美を見ると、感嘆し一目惚れしてしまったのだ。そこで、1923年、その建物と土地を全部買い取った。彼は、その丸木の住宅を改築し、本格的な宿泊施設としてロッジをオープンした。それが、メイヒュー・ロッジである。

   
その後のロッジ
静かに流れ続けるクリーク

 

 こうして生まれたロッジには、次々と全米各地からの訪問客を受け入れていった。しかし、時間の経緯とともに老朽化を余儀なくされ、1968年、メイヒュー家は、そのロッジを引き払い、建物は、ココニノ国有森林の一部となった。ところが、不運が襲ってきた。1980年に、この一帯が山火事に襲われたのだ。そして、建物のほとんどは火の粉と消えてしまい、今は、その一部の壁などが残っているだけとなった。現在、ハイキングコースに沿って、かつての驚異の歴史を秘めて、ハイカーたちを迎えている。

鮮やかなカエデの紅葉
公式サイト