このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
アパッチ居留区が語るアパッチ族の過去
2020年9月号
今、アメリカ社会は揺れ動いている。新型コロナウイルスの感染拡大の中、ミネソタ州で起きた白人警官による黒人男性暴行死事件が発生。それに端を発した全米、否、全世界に広がる差別撤廃の動きに、黒人だけでなくアメリカ先住民への差別も事実として浮き彫りにされている。実際、NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の「レッドスキンズ」に対して、そのチーム名が先住民を軽蔑しているとして、チーム名変更の世論が高まり、チームが名称変更を決定したばかりだ。それだけでなく、全米各地で過去に人種差別を支援した指導者の銅像などを撤去する要求が強まっている。クリストファー・コロンブスもその一人だ。今や、コロンブスは、「アメリカ大陸発見の英雄」から「先住民虐殺の悪人」へと歴史の見直しが迫られている。 |
長遠の歴史を物語る地層が際立つ岩壁。この下にホワイトリバーが流れる。最もエレガントな建物。ビクトリア調マンション。切妻屋根の頂点に小さな塔が備え付けられているこの家には、当時の司令官が滞在した。政府の要人が来ると、この家に滞在する。当時のセオドア・ルーズベルト大統領も1911年から1917年の間に4回もここを訪れている。 |
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ハイウェイ73号線を車で走る。すると、そこには実に見事なアリゾナの自然美が広がっている。外から車窓を通して目に飛び込んでくる芸術的な色合いと勇壮な岩山の数々。そのハイウェイの片隅に「Fort Apache」という道路標識が見えてくる。その先に「フォート・アパッチ」と呼ばれるかつての要塞が姿を現す。
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クルック将軍クルックのキャビン |
アメリカ陸軍の職業軍人で、南北戦争とインディアン戦争でその名を挙げたジョージ・クルック。1828年にオハイオ州の農園で生まれた彼は、陸軍士官学校を卒業すると、陸軍に入隊した。 |
アパッチ族 |
アパッチ族は、他のアメリカ先住民と同様、何千年も前にシベリアからアラスカに渡った遊牧民族で、その後、アメリカ大陸を南下してきた。彼らは、バッファローを追い、また温暖な気候を求めて、大陸内部に移動してきた。そして現在のテキサス、オクラホマなどの大平原で狩猟をして生活をしていたが、コマンチ族が南下してアパッチ族を追いやると、アパッチ族は、アリゾナやニューメキシコといったアメリカ南西部へと移動をした。 |
アパッチ戦争 |
1846年に米墨戦争が起こり、アメリカが勝利すると、アリゾナには白人が次々と移動してくるようになる。とりわけ、1848年にカリフォルニアで金が見つかると、ゴールラッシュが始まり、東部や中西部から大量の人間が西へ西へと動いていった。 |
ジェロニモ |
ジェロニモと言えば、これまで映画や本などでその名前は有名になってきたアパッチの戦士である。最近では1993年の映画「ジェロニモ(Geronimo: An American Legend)」で、ウェス・ステユディがジェロニモの役、ジーン・ハックマンがクルックの役を演じている。 |
フォート・アパッチ |
1869年、第一騎兵隊のグリーン少佐は、アリゾナの東部、ホワイト・マウンテンを偵察しながら移動していた。目的は、アパッチ族の動きを封じ込めることにあった。彼は、先に出した偵察隊から、ホワイトリバーの川岸にサトウキビを栽培しているアパッチ族の集落があるという報告を受けた。そこで、グリーン少佐は、部下に調査を命じた。騎兵隊は、いつでも交戦の可能性がある状況にあった。 |
クルックの作戦 |
クルックは、このフォート・アパッチから騎兵隊を出して、アリゾナ南部のチリカワ山地に潜むチリカワ・アパッチ族を攻撃することにした。チリカワの山地には、ジェロニモが率いるアパッチ戦士達が神出鬼没していた。 |
アパッチ戦争の終結
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その後、クルックは、転属を命令され、新たにネルソン・マイルズが指揮官としてアパッチ戦争を引き継いだ。マイルズは、ジェロニモの降伏か殺戮かどちらでも良いからアパッチ戦争を勝利したかった。そこで、以前からクルックの元で戦い、ジェロニモとも面識があるチャールズ・ゲートウッドを使ってジェロニモとの交渉をさせるようにする。ゲートウッドのことは、映画「ジェロニモ」で詳しく描写されているが、ジェロニモと一対一の交渉に挑戦し、ジェロニモの将来やアパッチ族の安全を保証する約束を提案することになった。これは、もともとクルックの案で、平和理に全てを解決するのが目的だった。ただし、ゲートウッドは、指揮官マイルズがこうした約束を破棄する可能性を見破っていたようだ。 |
その後のゲートウッド |
作戦を成功させたゲーツウッドだが、その直後に彼は、左遷させらることになる。これは、ゲートウッドがジェロニモに約束したことを、指揮官マイルズは最初から守る意思がなく、それを知っているゲートウッドを遠方に送ることで、身の安全を守ろうとしたようだ。 |
ワシントンの嘘に怒ったクルック |
クルックは、アメリカ政府に斥候の扱いが不当であると訴えた。斥候は、先住民の中から信頼できる者を選び、訓練し、アメリカ軍の助けとなった人たちである。ところがジェロニモが降伏しフロリダの収容所に送られることになると、今まで米軍の斥候として戦ってきたアパッチの人々もフロリダ州の収容所に追放されてしまったのだ。クルックは、この不当な扱いを決定した連邦政府に対して怒り、抗議の電報をワシントンに送っている。クルックは、アパッチや同僚から「嘘をつかない男」と信頼されていた。 |
ジェロニモの後悔 |
ジェロニモは、囚人としてフロリダに送られ、その後、1904年のセントルイス万国博覧会には、人間動物園として展示されるような扱いを受けた。後にオクラホマで死去するが、死ぬ前に、彼は、「あの時、降伏すべきでなかった。最後まで戦って死ねばよかった」と後悔の念を発露している。1886年から1909年まで23年もの間、囚人として扱われ、いつかメキシコ国境のアリゾナに戻りたいという希望を叶えることができないままだった。 |
その後のフォート・アパッチ男子寮だった建物
セオドア・ルーズベルト学校
1876年建設の衛兵詰所 |
ジェロニモの降伏は、アメリカ陸軍にとって、アパッチ族との軍事戦の終わりを意味した。すると、フォート・アパッチの存在意義も薄れていくことになる。地元のアパッチ族の人たちは、この地で農業を営み、自給自足ができるようになっていく。 |
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