このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
ラムジー・キャニオンの秋
2020年12月号
アリゾナ州の南端の山々、フワチューカ山塊に流れる小川。その川を囲んで緩やかな谷間ができている。そこが自然保護区域に指定されているラムジー・キャニオンの里である。 |
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地理的環境
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ラムジー・キャニオンは、アリゾナの南東部に位置し、そのすぐ南には、メキシコとの国境がある。ここは、世界に名だたる大きな山脈が二つ交錯している。まず、コロラドのロッキー山脈だが、この山脈は、アリゾナの南西部まで伸びていて、ラムジー・キャニオンの地がその山脈の南端となる。また、もう一つの山脈であるメキシコのシエラマドレ山脈は、メキシコの北西から南東にかけて連なる山脈群で、南端はグアテマラまで達している。その山脈の北端が、アリゾナのこの地となっている。ちなみに、シエラマドレとは、スペイン語で「母の山脈」の意。
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自然保護を目的に創立されたこの団体は、政府団体ではなく、私的組織の非営利団体である。この団体の発祥は、「アメリカ生態学協会」という学術組織で、1915年にスタートをした。その2年後に、生態学者ビクター・シェルフォードが、協会内で、生態学研究のための自然区域保護委員会を結成し、生態学研究を推進したが、1930年代には、自然保護への運動に力を入れるようになった。すると、協会の中で学術的な研究を進める派と自然保護に焦点を当てる派とが分裂を起こし、この協会は事実上解散することになる。そして、1946年に、シェルフォードと彼の意思を共にする学者たちが生態学者組合を結成する。これが、後に「ザ・ネイチャー・コンサーバンシー」という名前となり、自然の保全と野生動植物の保護を推進する目的を掲げた団体となった。こうして、1951年10月22日にアメリカ合衆国のバージニアに本部を置く非営利団体として正式に出発した。 |
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ラムジー・キャニオンの初期
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ラムジーの名前の由来は、この地の初期のパイオニアであったガードナー・ラムジーから来ている。同時期にW.H.ラムジーとフランク・ラムジーもここに住んでいたようだが、詳しい情報は見つからない。記録によると、1878年には住民がいたことがわかる。そして、20世紀初頭には、このキャニオンの頂上あたりに炭鉱発掘が始まったようで、当時の炭鉱会社のマネージャーだったハンバーグ(Hamburg)の名前が現在のトレイルの名前に使われて残っている。このトレイルは、坑夫たちが炭鉱に向かう道だったようだ。ある程度の人口があり、1906年から1916年、そして、1925年から1928年の間にこの地に郵便局が設置された。その後、1928年に、炭鉱は閉鎖された。そして、1940年代には、全ての炭鉱関係の器具や備品がこの地から撤去され、今では、ハンバーグ・トレイルという小道だけが、かつての面影を残している。 |
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生物学者を魅了したキャニオン
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20世紀になると、多くの生物学者がこの地を訪れ始めた。そこは、学問上貴重な物がそれこそ山のようにあり、生物学者にとって学術資料の宝庫だった。そこで、1965年に連邦政府は、ラムジー・キャニオンをアメリカ合衆国国定自然地域に指定した。 |
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月別ハイライト |
ザ・ネイチャー・コンサーバンシーが作成したラムジー・キャニオンのパンフレットには、月別のハイライトが記述されているので、紹介しよう。 |
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公式サイト |