アリゾナには、奇妙な形をした岩山が各所で見られる。こうした場所は、その不思議なる格好に魅せられた観光客が次々と訪れて、観光名所となってきた。
ところが、観光化を完全に拒否し、連邦政府が訪問者の規制を厳しく行っている所もある。そこでは、環境破壊を防ぎ、自然が残してくれた偉大な作品を永久に保護しようとする方針により、その岩山の美を自然のままに保存することを可能にしている。
その一つが、「ザ・ウェイブ(The Wave)」である。ウェイブ、つまり「波」の形を思わせる巨大な岩が砂漠の真ん中に立っているのだ。この岩は、アリゾナ州とユタ州の州境にあるヴァーミリオン・クリフ国定公園の西端に位置している。連邦政府は、1日20人までの限定数で、訪問者に許可証を出しているので、ザ・ウェイブでは、人影を見かけることがほとんどないまま、1日が終わることもある。
今月は、この・ザ・ウェイブまで足を伸ばして、その絶景を楽しんでみよう。 |
 |
|
|
雨水と風の浸食

|
ここは、ナバホ砂岩が雨水と風の浸食で緩やかな波のようにうねった形を作り出した秘境の地だ。ナバホ砂岩というのは、ジュラ紀前期のものだ。ジュラ紀というのは、今から約1億9960万年前から始まり、約1億4550万年までの地質時代である。まさにあの恐竜が生息していた時だった。その時期に砂丘が固まって形成されたのが、ナバホ砂岩である。その砂岩に含まれていた鉄分が酸化して、岩の表面が赤くなっている。
ジェラ紀の時代に、この一帯には風が砂塵を運び込んできて、大きな砂丘が形成された。その砂丘に強い雨水が当たり、砂丘の割れ目に入りこんだ。その大きな割れ目にさらに風が当たり続け、空気が窪みを潜り抜けていく。このような風の働きは、気の遠くなるような時間をかけて、ゆっくりと岩の表面を浸食し続け、まさに波がうねっているような形を作り上げた。風が運ぶ無数の砂の粒が何回も何回も岩の表面に衝突して、少しずつ削っていくことを思うと、費やされた悠久の時間と自然の力の不思議さに驚かざるを得ない。ザ・ウェイブには、谷のようなU字型の窪みが二つある。この窪みがもともと、砂丘にできた割れ目だった。砂丘は、柔らかい砂岩で壊れやすい。ザ・ウェイブが頑丈な砂岩でないことを理由に、連邦政府は、訪問者数に限度を設けて保護するようにしている。
この近辺には、恐竜が踏みつけて砂丘の薄板を壊したのではないかと思われる岩の変形や恐竜の足跡が遺されており、ナバホ砂岩の中からは、当時の昆虫や甲虫の化石も発見されている。
|

|

|
|
|
ザ・ウェイブの発見者は?

|
今でこそ世界中の写真家たちがこの地を訪れ、一般のメディアでも扱われているザ・ウェイブだが、この地は、長い間、人々の間で未知の世界だった。と言うのも、ここは、荒涼とした砂漠の真ん中で、周囲には木陰や水がほとんどない場所であるであるからだ。動物や鳥もほとんど現れない。過去、この場所に足を踏み入れた人間もあまりいなかったようだ。
ところが、1990年代に人々の熱い視線が一斉にザ・ウェイブに注がれたのだ。実は、ザ・ウェイブを世界に紹介したのは、アメリカ人ではなく、ドイツ人だった。まず、ドイツの旅行パンフレットにザ・ウェイブの写真が掲載された。そして、1995年にドイツの自然ドキュメンタリー作品「Faszination Natur」でザ・ウェイブが紹介されたのだ。「Faszination Natur」とは、英語で「Facinating Nature」、つまり魅力的な自然と言う意味。そして、ミュンヘンの芸術祭で、この映画が上映された。この時に30万人もの人がこの作品を鑑賞し、ザ・ウェイブは、最も人気が高い地質的奇跡として知名度が急上昇したのだ。こうして、ドイツでは、ザ・ウェイブの写真が絵葉書、ポスター、カレンダー、本などに次々と登場し、実にセンセーショナルな絶景ブームが巻き起こった。 |
|
|
ザ・ウェイブを訪れるには

|
この地の訪問には、連邦政府の許可が必要である。前述のように、1日たった20人しか許可証を取得できない。
では、許可証の取得には何が必要なのだろうか。それには、2つの方法がある。
まず、実際にビジター・センターに行って許可証を取得する方法。このビジター・センターは、BLMビジター・センターと呼ばれる。BLMとは、土地管理局(Bureau of Land Management)のことだ。これは、1946年に設立された連邦政府の機関で、アメリカ合衆国内の公共土地を管轄し、エネルギー開発、放牧区域、レクリエーション、樹林などの管理を通して、自然保護、文化保全、歴史財保護などを行っている。
さて、このBLMビジター・センターは、ユタ州の南部、アリゾナとの州境にカナブという小さな町にある。ザ・ウェイブの訪問希望者は、そのビジター・センターに行き、許可証申し込みをすると、そこで抽選が行われる。日によっては、100名を超える希望者がここを訪れ、抽選の模様を熱心に見守る。希望者が多くなり当選率が低くなると、その熱気は尚更高揚する。まるで宝くじの抽選のようだ。ここでの抽選は、クリスマスやサンクスギビングなどの休日を除いて毎日行われている。こうして抽選で選ばれた10名に許可証が発行される。
前述のように、許可証は1日20枚発行されるが、ビジター・センターでの発行数は10枚までだ。その上、もう一つの方法、つまり、ウェブでの申し込みでも抽選が実施され、毎日10名だけが当選するという仕組みで、1日合計20枚の許可証発行ということになる。
さて、ビジター・センターの抽選で当選すると、その会場でオリエンテーションが当選者を対象に行われ、注意事項などが説明される。そして、当選者は、許可証発行料金7ドルを現金で支払う。会場では、クレジットカードやチェックを受け取らないので、あらかじめ現金を用意しておく必要がある。許可証を取得したら、その翌日に、待ちに待ったザ・ウェーブに行くことができる。
なお、新型コロナウイルスの感染で、ビジター・センターは、本年3月に閉鎖されていたが、6月から再開している。
二つ目の許可証取得方法は、ウェブでの申し込みだ。これも抽選による許可証発行となる。しかも抽選は、申し込んだ月の4ヶ月後の初日に行われる。例えば、1月に申し込むと、その年の5月1日に抽選が行われるという、これも気が遠くなるような時間がかかることを覚悟しなければならない。
では、ウェブで申し込む手順だが、まず、サイトに行って、申し込みフォームに記入をして、クレジットカードを使って申請料金9ドルを払う。
さて、抽選で選ばれると、メールでその旨が知らされる。そこで、また、クレジットカードでリクリエーション料金7ドルを支払う。訪問時に犬を連れていくことができるが、犬も一匹7ドルかかる。許可証では、1日だけの訪問が許され、キャンプしたりすることは禁止されている。許可証は、後日、郵送されてくる。
中には、許可証なしで訪問してしまう人もいるようだが、見つかれば、10万ドルの罰金が課せられ、拘置所に送られる可能性がある。 |
|
|
訪問時の注意

|
ハイキングは、ワイヤー・パス・ツー・バックスキン(Wire Pass to Backskin)という場所からスタートする。ここには、駐車場とトイレが設置されている。
目的地のザ・ウェイブまで片道3マイルのハイキングとなる。夏は、太陽が照りつけ大変暑い。また、冬は冷え込みが厳しい場所だ。地面はゴツゴツした砂岩の上を歩くことになり、時には急な斜面を登り下りし、平地を歩くようにはいかない。木がほとんどないので、木陰がないまま、太陽光線をまともに受けながら歩くことになる。したがって、土地管理局も強く訴えているが、十分な水を持参した方が良い。ペットボトルを何本か持参し、軽いクラッカーなどで糖分と塩分を取れるようにする。また、ハイキングの往復行路に標識などは一切ないので、ハイキングGPSがあると助かる。最近ではスマホで使えるGPSのアプリもある。土地管理局で地図も提供してくれるが、それでも道に迷う可能性も高い。
その他、帽子、ハイキングスティック、救急用品なども必要かもしれない。
ザ・ウェイブの周辺は、柔らかい砂が積み重なっており、まるで海の砂丘を歩くようになる。足が地中に膝まで沈むこともあり、要注意。 |
|
|
過去の惨事
 |
誰が置いたのだろうか。所々に行き先を示す積み重ねた小さな石があり、良い目印になる。 |
|
ハイキングは、若く健康な人にとって、素晴らしい経験となり、ザ・ウェイブだけでなく、その途中での絶景は生涯忘れることができないほどだ。
しかし、過去にハイキングの途中で亡くなった人たちもいる。とりわけ、夏は、容赦なく太陽の光が照りつけ、脱水症状になったりして心臓マヒを起こしたケースもある。
2013年7月の暑い日。ハイキングをしていたアリゾナ州メサ市に住む27歳の女性が心臓マヒで倒れ、緊急ヘリコプターで病院に運ばれたが、時すでに遅く、死亡が確認された。彼女は、ご主人と一緒に結婚記念5周年を祝って、ザ・ウェイブに応募し、抽選で当選して、ハイキングをしていた。しかし、夫婦は、ザ・ウェイブに向かっている途中で道に迷ってしまい、1時間ほど、遠回りをして歩き続けていた。真夏の太陽光線が厳しく、彼女の足が柔らかい砂地で動かなくなった。そこで、ご主人が携帯電話のシグナルを求めて、他の場所を歩き回っていた。その時の惨事だった。
また、2018年の7月に、ベルギーから旅行に来ていた46歳の男性が、やはり心臓マヒで亡くなっている。この男性は、妻と息子3人で旅行していた。妻は、カナブのホテルにいて、ハイキングには行かなかったが、この男性と16歳の息子が一緒にザ・ウェイブに向かっていた。この二人も道に迷ってしまい、息子はザ・ウェイブの敷地から抜け出して、携帯電話で母親に連絡した。母親は、すぐ警察に電話で報告し、その日の夜にこの男性の死体が発見された。 |
|
|
それでも人気のザ・ウェイブ

|
訪問者の死亡事故を受け、土地管理局は対策措置を検討してきた。ハイキングの出発点であるワイヤー・パス・ツー・バックスキンに注意事項の標識を立て、数カ国語に翻訳して、海外からの訪問者も理解できるようした。また、敷地内での携帯電話のシグナルを完備したり、標識を完備したり、各訪問者にGPSの装置を提供したり、といった案が出てきている。一方、人間の手を加えることに反対する意見も強く、自然を自然のままに、と主張する声も届いている。
ところが、そんな危険を冒してでも、一生の内に一度は訪れてみたいという人たちが世界中にいる。高齢者でもいわゆる「バケットリスト」を作り、死ぬまでにしたい100項目のうちの一つに、このザ・ウェイブを挙げている人もいるという。
2017年のデータでは、全世界でザ・ウェイブ訪問許可を申し込んだ人が161,467人もいる。その中で当選して許可証を獲得した人は、7,300人。全体の半数以下の人が幸運にも、この絶景を見ることができた。今でも毎日、抽選で落ちた人たちが、再び抽選に挑戦している。 |
|
|
増える可能性あり、許可証発行数
 |
動物はほとんど見かけないこの地に、いきなり現れたウサギ |
|
2019年、土地管理局は、ザ・ウェイブの訪問限定を1日20から96に増やす可能性を示唆した。そして約1ヶ月半ほど公の意見受け入れ期間を設けて、一般市民からのコメントを集めた。その結果はまだ発表されていないが、限定数を増加させることは検討中であることがわかる。しかし、これにも強い反対意見があり、今後の行方を見守りたい。
ともあれ、熱がこもった抽選の毎日は、これからも延々と続きそうである。そんな人間の抽選劇をよそに、ザ・ウェイブは、これからもその勇壮な自然美を誇示し続ける。

|
|
|
公式サイト |
ウェブでの抽選申し込み |