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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

ソーシャル・メディアで人気上昇、ホースシュー・ベンド

2020年10月号

 コロラド川が作り上げた見事な芸術作品、ホースシュー・ベンド。その名の通り、ホースシュー(馬蹄)によく似た形でベンド(曲がった)した美しい川の流れを見ることができる。訪問者の眼前には、U字型の川、コバルトブルーの澄んだ水、その周りのレッドロック、そして途方もなく広がる真っ青な天空が素晴らしいコントラストの美を見せつけてくれる。ここは、グランドキャニオンの出発点のような場所で、このまま流れ続けるコロラド川の水は、気の遠くなるような時間をかけて岩を削り続けて、壮大な絶景の世界を造ってきたのだ。
その美をカメラに収めようと、これまで数多くの写真家たちがこの地を訪れ、シャッターを切っていった。ここは、長い間、際立った観光化もされないで、人影もまばらで比較的静かな光景を維持していたが、近年、その様子は急速に変化している。
過去数年、若者の間で、ソーシャルメディアを通して、この地が注目を浴びるようになったのだ。訪問客の急増に応じ、駐車場ができ、駐車場から舗装されたトレイルが完成した。また、訪問客の安全のために、フェンスもできた。トレイルを20分ほど歩いて、そのフェンス越しに見えるのが、ホースシュー・ベンドだ。
今月は、この限りない大自然の魅力と同時に、商業化がもたらす観光地の諸問題を見てみよう。

 
 
コロラド川の岸にはボートや釣りを楽しむ人もいる

結婚式の写真都ケーションとしても人気が高まっている

 

 

ホースシュー・ベンドができるまで

砂丘の砂が固まってできた地表に太陽と雨が風化を続けてきた

 ホースシュー・ベンドを含むグランドキャニオンの一帯は、今から2億年も前、巨大な砂丘でその横には大海が広がっていた。そして、多くの恐竜が砂丘を闊歩していた。その砂丘の砂は、少しづつ固まり始めて、大きな岩を形成するようになる。今、駐車場からホースシュー・ベンドに向かってトレイルを歩くと、茶褐色の砂が地面に広がっているが、それは、当時の砂丘の砂である。その昔に恐竜が歩いた砂丘を想像できる。
 その後、延々と時が経ち、恐竜の足音が消え、地球はどんどん変化していった。そして今から7,000万年前、広大な平地であったこの一帯に、コロラド川の水が流れ込んできた。北方の大地が隆起して出来たロッキー山脈からコロラド川が運んでくる水は、時に鉄砲水のように荒々しい勢いで岩を削り、またある時は、淡々と流れ込んで、土地の浸食を絶え間なく続けた。こうして、現在のグランドキャニオンという壮大な谷間が形成されることになる。
 ホースシュー・ベンドが出来たのは、川の流れが巨大な岩に当たって角度を変え、次の岩に当たって再び角度を変えた結果、U字型を作り上げたためである。
 岩の頂上から川の表面まで約300メートルの距離がある。つまり、コロラド川は長時間をかけて硬い岩石を300メートルも削ってしまったということだ。そして、この浸食は止まることなく、今でも100年の間に2センチメートルの川底が削られているという。

 

人気急上昇の昨今

 近年、著しい変化がホースシュー・ベンドに現れている。それは、訪問者の急増である。その要因は、若者の間でソーシャル・メディアを通してホースシュー・ベンドの写真がアップされ、多くの人々の目を魅了したからである。とりわけインスタグラム(Instagram)で共有される写真が大きな引き金となった。インスタグラムは、2010年にリリースされてより、10代から30代の間で急速に人気を高め、今では、全世界で10億人以上のユーザーに広がっている。インスタグラムという名前は、インスタ(即席)とグラム(テレグラム:電報)を一緒にしたもので、携帯電話で撮った写真を即、共有できるというサービスである。2016年から動画の配信もできる機能を追加し、ユーザー間のコミュニケーションが革命的に変化を遂げることになる。
 このインスタグラムにホースシュー・ベンドの写真を共有するユーザーが出始めると、加速的にホースシュー・ベンドへの関心度が上昇したのだ。その上、ホースシュー・ベンドは、ページの町から近距離で、車を使えば、訪問が比較的容易なロケーションにある。こうして、ビジター数は急増の一途を辿ることになった。

インスタグラムには、おびただしい数のホースシュー・ベンドの写真が共有されている
高い危険度

 

この岩の絶壁の下に広がるのがホースシュー・ベンド

 訪問するには、難しい場所ではないが、この地で人々は、絶壁の下に流れる川を見下ろす訳で、非常に危険度が高い観光地である。厳しい自然を甘く見ることはできない。事実、2014年頃から救急車を呼ぶ電話の回数が増え始めた。人が増えれば、事故も増える。しかも暑い夏であれば、日陰がほとんどないこの場所では、強烈な日差しで倒れる人も出始めた。飲み水を持参しない訪問客が病気になったり、途中で転んでしまって怪我をする人も多々出てきた。
 そこで、ページ市とアメリカ合衆国公園局は、2018年、訪問者の安全を図るために、舗装されたトレイルを作って、歩きやすくするようにし、車椅子の人でも訪問できるようにした。そして、広い駐車場の設置も行われた。
 さて、一番危険な場所は、絶壁である。一つ間違えれば、谷底に落ちてしまう。
 実際、2018年、33才の男性が足を踏み外して岩から落ち、死亡してしまった。さらに、その年のクリスマスイブの日には、カリフォルニアからホースシュー・ベンドに観光で来ていた家族が、14才の娘さんが突然行方不明になったと警察に届け出た。次の日の午後、アリゾナ州公共公安局のヘリコプターが捜索に出ると、ホースシュー・ベンドの下の地面に少女の遺体を発見した。彼女は、打撲死したようで、その翌日遺体を引き上げた。
 そこで、アメリカ公園局は、75万ドルを費やしてフェンスを建設した。しかし、このフェンスは、100フィート(約30メートル)の長さしかなく、完全に全体を囲んで人間が下に落ちないようにするのは不可能である。
 一方、自然のままを好む自然愛好家の中から、こうした「人工的」な設備を備えることに反対意見を唱える人も出てきた。自然を守るか、人命を守るか。これは、どこの観光地も避けて通れない課題である。
ともあれ、ホースシュー・ベンドの駐車場では、一枚のパンフレットが手渡される。そこには、こう注意書きが載せられている。
飲み水を十分持っていくこと。歩きやすい靴を履くこと。日陰が少ないので太陽光線に気をつけること。犬などのペットは、6フィート(約180cm)以下の綱でつなぐこと。地面に落ちたペットのフンなどをきれいに拭き取ること。動物を車の中に置いて行かないこと。入場料は一回の入場のみ。天候によく注意を払うこと。そして、全てのゴミは駐車場のゴミ入れに捨てること。
残念ながら、このパンフレットも他のゴミ同様、到る所に捨てられていた。

   
フォート・アパッチ

 1869年、第一騎兵隊のグリーン少佐は、アリゾナの東部、ホワイト・マウンテンを偵察しながら移動していた。目的は、アパッチ族の動きを封じ込めることにあった。彼は、先に出した偵察隊から、ホワイトリバーの川岸にサトウキビを栽培しているアパッチ族の集落があるという報告を受けた。そこで、グリーン少佐は、部下に調査を命じた。騎兵隊は、いつでも交戦の可能性がある状況にあった。
 偵察隊がその集落に着いた時、彼らが見たものは、村に翻る白旗と騎兵隊を歓迎するアパッチ族の住民だった。
 そこで、グリーン少佐は、この地が砦を作るのに最適であると判断した。こうして、1870年に砦の建設が始まり、翌年、「キャンプ・アパッチ」という名で完成した。そして、1879年に「フォート・アパッチ」という名称になっている。こうして、この地がアパッチ族攻撃の拠点となったのである。

   
ナバホ発電所の閉鎖

ナバホ発電所の3本の煙突から出る煙(2008年撮影)

 ホースシュー・ベンドに隣接するレイク・パウエルの数マイル南側の地、ナバホ・ネーションの敷地内で46年もの間稼働を続けたナバホ発電所が昨年2019年11月18日に閉鎖した。
ホースシュー・ベンドからも見ることができる3本の巨大な煙突。これは、ナバホ・ネーションの中に作られたナバホ族の石炭火力発電所だ。
この煙突から吐き出される煙の大気汚染が、実に長い間論議を引き起こしてきた。そこには、単に環境破壊するものが悪だというような単純な正義論で片づけられない現実が横たわっていた。
 ナバホ・ネーションというナバホ族の保留区がこの火力発電所建設を認めたのは、アメリカ先住民の貧困を克服する一つの手がかりと捉えたからだ。保留区住民が抱える高い失業率と厳しい貧困を、発電所の稼働によって雇用を作り上げ、賃金を支払うことができるようにした訳だ。しかしながら、皮肉なことに、ナバホの人たちの「聖なる地」で大気汚染の源を作るという矛盾を常に抱えながら、悪戦苦闘してきたのがナバホ族だった。
近年、環境団体による厳しい指摘と非難が寄せられ、さらに地球温暖化が顕著になるなど、現実には、石炭火力の発電に限界が来ていた。ナバホ・ネーションの土地内には、風力発電所も生まれ、今後の再生可能エネルギー源を提供する方向も模索中である。発電所の閉鎖は、ページの町にも大きな影響を与え、最大の雇用主をなくすことによる経済的インパクトは、甚大である。
 ともあれ、あの3本の煙突から出る煙は、姿を消した。そして、間も無く、この発電所自体も解体作業がなされて、消滅していく。