このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
暖かい人の心を結ぶ音楽を、田川徹さん
2019年7月号s
「楽しみにしてました」と市民が三々五々、ツーソンの教会に集まってきた。小さな子供を連れた主婦もいれば、若いカップル、老夫婦など、人種も白人、黒人、アジア人など、多様な人たちが次々とやってくる。このコンサートは入場無料。しかし、ほとんどの人たちがチェックや現金を、受付に用意された基金用のカゴの中に入れて行く。ツーソンレパートリーオーケストラ(Tucson Repertory Orchestra)が年2回開催しているコンサートが、いよいよ始まろうとしている。 |
|
||
![]() |
|||
「音楽の良さを皆さんに知ってもらいたい」 |
田川さんがツーソンレパートリーオーケストラを立ち上げたのは、2011年。そして、翌年2012年からコンサートを始めた。 “大学で音楽を専攻したといっても、全員がオーケストラで演奏できるとは限らない。全く違う職種についているような音楽家や、中々オーケストラで演奏するチャンスのない音楽家もたくさんいる。こうした人たちに、ツーソンレパートリーで思い切って演奏できるチャンスを提供したい。また、若いこれからの音楽家たちに、プロと一緒に演奏できる貴重な機会も提供できる。しかも、日常生活に追われて音楽をゆっくり楽しむ機会が少ない家族もたくさんいる。このような一般市民にも気軽に音楽の素晴らしさを味わってもらいたいから” という思いがあった。 |
||
|
|||
ナショナルレパートリーオーケストラ(National Repertory Orchestra)
|
コロラド州にナショナルレパートリーオーケストラというユニークなオーケストラがある。田川さんもここで腕を磨いた経験がある。 |
||
ツーソンレパートリーオーケストラの立ち上げ |
田川さんは、2001年の夏、コロラドのナショナルレパートリーオーケストラで素晴らしい経験をすることができた。 |
||
コンサートをスタート |
オーケストラを始めた当初、演奏者の人たちに演奏する機会を提供するということが第一目的だった。ところが、半年が過ぎた頃、演奏はお客さんと一緒に楽しむものである、と気づき、コンサートを始めることにした。 |
||
![]() |
下川れいこさん出演のチャイコフスキーのピアノ協奏曲(2014年)Photo courtesy of James Andrada
|
||
家族コンサート |
その頃、田川さんに息子さんが誕生した。そして、自分の息子が来れるようなコンサートができたら、と思うようになった。そこで、2013年にファミリー・コンサートをスタートさせた。これは、子供達のためでなく、幼い子供を抱えて、中々クラシックコンサートなどに来れない家族のために、家族全員で楽しめるコンサートを提供しようとするものだった。今では、このファミリー・コンサートもツーソン社会に定着した。 |
||
田川さんと音楽 |
田川さんは、広島県広島市出身。6歳の時からバイオリンを始めた。9歳の時に倉敷ジョニアフィルハーモニーオーケストラに入団した。このオーケストラは、1975年4月に「子供のためのヴァイオリン教室」として倉敷公民館内で発足したのが源。その後、1984年に倉敷ジュニアフィルハーモニーオーケストラとして結成された。このオーケストラは、バイオリン奏者の安藤律子さんとその夫でビオラ奏者の江島幹雄さんが創立者だ。田川さんは、その第1期生として入団した。 |
||
田川さんとアメリカ |
田川さんのお父さんは、サラリーマンだったが、音楽、とりわけジャズが大好きだった。そんなお父さんに早期退職の機会が来て、それならジャズの本場、アメリカへと、1992年に一家全員でボストンに引っ越して来た。その時、田川さんは17歳。そして、ボストンの高校を卒業後、オクラホマ州タルサ大学、フロリダ州立大学院で音楽を学ぶ。そして、ツーソンのアリゾナ大学で音楽教育学を専攻し卒業した。 |
||
無料コンサートを終え、カメラに収まる田川夫妻セドナでの結婚式(2002年) |
広島にて(2002年) |
||
ローラさんとの出会い |
田川さんがフロリダ州立大学院で学んでいた頃、同じ大学院で修士課程を取っていたバイオリン奏者、ローラさんと出会った。1998年の話だ。そして、2002年にセドナで結婚。2004年には、田川さんが広島交響楽団で演奏するため日本へ。ローラさんは、広島にジェット・プログラムで来日。1年間日本の学校で英語を教えるという経験をした。 | ||
ローラさんとバイオリン |
ローラさんは、アリゾナ州のメサで生まれ、テンピで育った。7歳でピアノ、8歳でバイオリンを学び始めた。テンピの高校を卒業後、フラッグスタッフの北アリゾナ大学に進学。そこで学んだのがスズキ・メソードだった。これが、ローラさんの人生に大きなインパクトを与えた。 |
||
スズキ・メソードとは |
鈴木鎮一というバイオリン教授が帝国音楽大学にいた。日本社会は、軍事色が強くなり、まもなく、第二次世界大戦へ突進していく頃である。1930年代に鈴木は、子供達にバイオリンを耳から教える母語教育法を確立していった。それは、子供達に楽譜を読ませるのではなく、母国語を耳で学んでいくように、音楽も耳で学ぶという、誠にユニークが教育方法である。 |
||
鈴木が海外へ |
鈴木は、1964年から毎年10人の子供たちを海外演奏旅行に連れて行った。子供達は、5歳から13歳までの生徒で、1994年までの30年にわたり20カ国384都市でコンサートを483回も行ってきた。その中から著名なバイオリニストが生まれている。 |
||
アメリカのスズキ・メソード |
アメリカ各地では、このスズキ・メソードが音楽教育の中で取り入られ、現在は、日本の生徒数をはるかにしのぐ数の児童がアメリカの地で学んでいる。ちなみに、1999年の米映画「ミュージック・オブ・ハート」で、主人公のバイオリン教師が用いたのが、スズキ・メソードだった。この映画の主人公は、アカデミー賞受賞女優、メリル・ストリーブが演じた。 |
||
ローラさんのスズキ・メソードとの出会い |
前述のように、ローラさんは、北アリゾナ大学でルイース・スコット教授の指導のもとに、スズキ・メソードを習得した。その後さらに、スズキ・メソード指導者に師事し、長野県の松本で毎年行われている夏期学校にも参加した。 現在、彼女は、スズキ・バイオリン教師として登録されており、アリゾナ・スズキ・アソシエーション会長、シャパラル・スズキ・アカデミーのディレクターを務め、アリゾナで様々なワークショップや夏期研修を開催している。 |
||
ローラさんと日本 |
ローラさんは田川さんと出会う前から、スズキ・メソードを知り、日本に関心を持っていたが、田川さんと結婚後、日本で1年間過ごした体験は、ローラさんにとって誠に貴重なものとなった。 日本の文化を深く知り、それだけでなく、アメリカのこともアメリカを離れてよく知るチャンスになったと言う。 そして、彼女は、夫である田川徹さんの大きなビジョンと行動力に感謝し、強い協力者となっている。 |
||
オーケストラの日本ツアー |
前述の「倉敷ジュニア・フィルハーモニーオーケストラ」が創立30周年記念の演奏会を行った(2014年)。すでに海外で活躍している音楽家もいれば、日本交響楽団の団員もいた。そこに田川さんも招待されて、帰国した。その時に、田川さんがオーケストラの創立者であり、田川さんの恩師でもある江島幹雄先生と安藤律子先生に、「ツーソンレパートリーオーケストラの日本ツアーを考えています」と話したところ、「では、安藤先生の田舎に来なさい」ということになった。田舎というには、岡山県の吉備中央町という人口1万人余の小さな町のことだった。 こうして2015年に初めて日本ツアーが実現した。この小さな岡山の町が全町あげてツーソンからの演奏家を大歓迎し、多くのボランティアが献身的にツアーの一切を支援してくれた。この町には、1,000席のコンサート会場がある。しかし、今まで一度もオーケストラが来て演奏したことがないという町だった。その会場で、ツーソンレパートリーオーケストラが演奏を披露した。これは、町民にとっても素晴らしい経験だったが、ツーソンから行ったオーケストラのメンバーにとっても、日本の田舎の演奏経験は、忘れられない貴重な体験となった。吉備中央町とツーソンの庶民の繋がりが音楽を通して可能となったのだ。そこには、大都市の有名交響楽団が他の大都市の有名会場で演奏するよりも、はるかに人間の暖かい心の通った交流の機会が生まれ、それだけに皆の喜びも大きいものとなった。 |
||
本年も日本ツアーへ |
さて、本年も日本ツアーが実現する。 今回の予定は、下記の通り。 7月6日:ツーソンレパートリーオーケストラとアミーキティア管弦楽団 国際交流コンサート (大阪府箕面市) 7月7日:ツーソンレパートリーオーケストラ演奏会 (岡山県吉備中央町) 7月8日:ツーソンレパートリーオーケストラ国際交流コンサート (岡山県吉備中央町加賀中学校) 7月11日:ツーソンレパートリーオーケストラ国際交流コンサート (愛知県名古屋市) 7月13日:国際交流コンサート広島公演 (広島県広島市) |
||
![]() |
|
||
人と人をつなぐ音楽地元紙で紹介されたツアーの模様 |
インターネットが私たちの生活に欠かせないコミュニケーション手段となった今日。フェイスブック、ツイッターなどソーシャルメディアの発達が実に便利な意思表示の道具として定着しているのが現代社会だ。アメリカの大統領でさえ、ツイッターで何を言ったかがニュースで毎日のように報道されるようになった。 |
||
ウエブサイト |