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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

キックボクシングにかける青春

2019年3月号

 アリゾナでキックボクシングを教えている日本人大学生がいる。下仗一朗(しも・じょういちろう)さんだ。今は、グレンデール・コミュニティー大学の学生で、今年の5月に学業を終えて日本に帰国する。彼は、すでに日本での仕事が決まっている。
 この学生を訪ねて、ジムを訪れてみた。すると、そのジムは、誠に興味深いストーリーが秘められていることがわかった。今月は、このジムと下さんのユニークな人生をみてみよう。

キックボクシングを教える日本人学生
 「ワン・ツー・スリー」と力強い掛け声がジムに響き渡る。そして、ボクシンググローブで両手を固めた子供達が並び、練習が始まる。子供達が二人づつ向き合ってパンチやキックの練習。片やサンドバッグを前にキックを始める子もいる。練習が終わると全員でマットの掃除をして全てが終了する。
 このトレーニングを担当しているのが、下仗一朗さんだ。
 下さんは、1995年に東京で生まれ、埼玉で育った。父親はキックボクサーで、母親はバレーボールを教えるスポーツ家族だった。父親は、下さんに幼少の頃から厳しくキックボクシングを教えた。そんな彼は、「僕には、キックしかないんですよ」と語る。5歳の頃から試合に出た。そして、中学3年でプロのキックボクサーとなった
 

 

キックボクシング引退へ

 

 そんな下さんに、思いもかけない試練が押し寄せた。高校卒業後のある日、ジムで練習している時、突然倒れたのだ。気がついたら記憶がなくなっていた。そこで急遽、病院に運ばれた。精密検査の結果、脳にのう胞と呼ばれる体液が溜まった袋が見つかった。これは、先天的なものか、後天的なものか分からない。ともあれ、特に命に関わる病気ではなく、その後の日常生活には、全くさし障りなかった。ところが、キックボクシングのルールで、このような身体的状況があると、試合出場が許されないことがわかった。
 今まで、キックボクシングに全てを賭けていた人生に、大きな障壁が現れてしまった。そして、結局、現役を断念し、引退することになった。これは、彼にとって大きなショックだった。さて、引退後の彼の新たな道は、どのように開かれていったのだろうか。
 当時、下さんは、TARGETというジムに通っていた。そこには、キックボクシングで名声を馳せていたファビアーノ青木さんさんも練習をしていた。このファビアーノさんとの出会いで、下さんの新しい人生の扉がオープンすることになる。

   
 
ファビアーノ青木

 ここで、ファビアーノさんを紹介する。
 本名は、エジルソン・ファビアーノ・ゴンサルベス・青木。ブラジル生まれの日系3世だ。
 1978年にブラジルのパラー州で、日系2世の母親とブラジル人の父親の間に生まれた。母親は、その後離婚すると、ブラジルを離れて日本に引っ越した。この時、ファビアーノさんと弟(異父兄弟)のイズマエルさんを一緒に連れて日本に渡来した。当時、ファビアーノさんは、14歳、イズマエルさんは、11歳だった。それまで、ポルトガル語だけで、日本語を話したことがなかった兄弟は、日本で全く新しい生活をスタートさせることになった。
 ファビアーノさんは、ブラジルで空手を習っていたこともあって、日本に来てから空手の極真会館に入門した。そして、20歳でビクトリージムに入門し、キックボクシングを始めた。体格が良く、頭角を現してきた彼は、2003年にプロとしてデビューした。
 その後の彼の活躍は目覚ましく、2007年、J-NETWORKヘビー級王座を獲得。2008年にR.I.S.Eヘビー級王座を獲得。2010年には、WPMF世界スーパーヘビー級王座決定戦で王座を獲得し、その名を轟かせた。

ジムには、ファビアーノさんのトロフィーがズラーッと並ぶ。
 
 
イズマエル青木

イズマエルさん一家
妻の英依さん
長男のハニエル君(10才)、
次男のドミニック君(7才)
二人の息子さんも柔術の大会で見事な成績を残している。

 弟のイズマエルさんは、1981年生まれ。14歳で日本に。そして、15歳の時からファビアーノさんと同じく、極真会館に入門して空手を学んだ。彼は、21歳になるまで空手を続け、それから柔術の世界に入った。
その後、2003年に彼は、ブラジルに戻った。日本ではイズマエルさんのような高いレベルで練習する相手がなかなか見つからなかったと言う。そして、米国、ブラジルで数多くの柔術大会に出て、上位入賞を果たし、2009年の全米大会では優勝を獲得した。そんなイズマエルさんは、2009年に、日本のジムからブラジリアン柔術指導の仕事を依頼され、再び日本に戻った。
 日本では、指導とともに柔術の現役選手として活躍した。より強くなり、より向上しようとしていたイズマエルさんには、日本の格闘技界は物足らず、格闘技がブームになっているアメリカに目を向けた。そして、2012年、アリゾナのグレンデールにあるジムでの練習を目的に渡米した。すると、イズマエルさんは、その力量を認められ、そのジムで指導の仕事を依頼されて、アメリカの労働ビザも取得できた。

   
アリゾナで新たなジムを

 グレンデールで仕事をしていたイズマエルさんは、兄のファビアーノさんと相談して、一緒に新たなジムをアリゾナで始ることに決めた。こうして、ファビアーノさんは、日本を離れ、2013年にグレンデールに到着した。早速、兄弟で新しいジム創立への準備をスタートさせた。ジムの場所探し、器具の購入、煩雑な事業許可の申請など、約1年を費やし、ついに2014年に現在のジムをオープンすることができた。当初は、中々、トレーニングにくる人が増えず、心配だったが、口コミなどで人気が高まり、今では、150人ほどの子供から大人までの人たちがトレーニングに通ってくる。イズマエルさんは、「ようやく軌道に乗ってきました」と語る。

   
下さんも渡米

 一方、引退を余儀なくされた下さんは、日本でファビアーノさんと同じジムにいたことから、ファビアーノさんが日本を離れてアメリカでジム経営を始める話を聞いた。そこで、下さんは、渡米を決意する。そして、アメリカの大学に行こうと決めた。世界を知り、世界と関わることで、キックボクシングの世界を変えようと思いたったのだ。
 ところが、英語力は全くゼロに近く、アメリカの大学に入るために必要なTOEFL試験の合格は困難を極めることだった。もともと、幼少の頃から、下さんは、机に向かって勉強する環境になく、どう勉強したら良いのかもわからなかった。ただ、彼の実直な性格と負けじ魂は、誰よりも強かった。
 下さんの後輩で、「神童」「キックボクシング史上最高の天才」と呼ばれる那須川天心のトレーニングを行う傍、下さんは、ただただ英語の勉強に励んだ。イングリッシュイノベーションズの学校に通い始めた。その頃、下さんは、ABCの小文字もよくわからないほどだったと言う。そんなほぼゼロからの出発の彼が、なんと、2年間の猛勉強で、ついにTOEFLに合格したのだ。
 これで、アメリカの大学に入学することができる。アメリカはアリゾナのグレンデールを目指した。そして、彼は、2018年1月にグレンデールに到着し、グレンデール・コミュニティー大学に入学を果たした。なぜ、グレンデールか。それは、もちろん、ファビアーノさんとイズマエルさんが経営するジムがその地にあるからだ。

   
今後の下さん
 下さんは、今年の5月に日本に帰り、前述の那須川天心のエージェントとして仕事をすることになった。また、勉強も続け、日本のテンプル大学に行くことにしている。テンプル大学は、アメリカのペンシルベニア州を本校とする大学で、日本にもキャンパスを持つ。
 彼は、スポーツガバナンスを勉強し、今はまだ一般スポーツとして確立していないキックボクシングで世界を変えたいと述べる。世界に広がる夢を持つ若者の未来は、大きく広がっている。
 

左から:ファビアーノさん、下さん、イズマエルさん、ライアンさん
ライアンさんは、ムエタイのストレングス&コンディショニングコーチ。
下さんが教えるキックボクシングのクラス

スケジュール


3月23日(土)
Kick 101: 10:00 am - 10:50 am
Kick 102: 11 am - 11:50 am
4月20日(土)
Kick 101: 10:00 am - 10: 50 am
Kick 102: 11:00 am - 11: 50 am
Kick 201: 12:30 pm - 2:00 pm

5月11日(土)
Kick 101: 10:00 am - 10: 50 am
Kick 102: 11:00 am - 11: 50 am
Kick 201: 12:30 pm - 2:00 pm
サイト:https://joe-kickboxing-designer.amebaownd.com


ジムの住所


Cyclone Muay Thai
6640 W. Cactus Rd., Glendale, AZ 85304
(602) 787-3923
サイト:https://cyclone-muaythai.com
ジムでは、キックボクシングだけでなく、柔術、ムエタイも教え、体の訓練だけでなく、心の鍛錬も目指す。