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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

リオ・サラド・プロジェクトとテンピの発展

2018年8月号

 テンピのタウンレイク。市民の憩いの場ともなり、様々なイベントが次々と繰り広げられてきている。熱気を帯びたような不動産投資で、タウンレイクの周辺は、急変を遂げている。この成長の鍵となってきたのが、「リオ・サラド・プロジェクト」と呼ばれる開発計画だった。 今回は、この「リオ・サラド・プロジェクト」をめぐるテンピ・タウン・レイク周辺の成長を見てみよう。

 アリゾナ州立大学建築学の学部長、ジェームス・エルモア教授は、学生たちに一つの課題を出してみた。1966年の話だ。かつて水を満々とたたえていたソルト・リバーが、カラカラに干上がってしまっていた。砂漠の真ん中で荒涼としている姿を見事に蘇生させる方法を考えてみよ、という課題であった。この課題を受けた学生たちは、考えに考え、研究を重ねながら、一つのプランを提出した。それが、「リオ・サラド・プロジェクト」というものだった。
 このプロジェクトの構想は、乾ききった川底に再び水を引き、島を作って、周囲に公園を建設するという、ソルト・リバーとその周辺環境の生まれ変わりを目指すものだった。
 真っ先にプロジェクトに賛同したのは、テンピ市だった。アリゾナ州立大学建築学部と共同して、積極的にプロジェクトの実現へと動き始めた。
このプロジェクトは、1969年一般に公開された。ソルト・リバーの周辺に商用ビル、政府関係庁舎、そして公用施設などを建設するという一大計画が生まれた。これに、地元のバリー・フォワード協会やマリコパ政府間協会などが支援を提供し

 
エルモア教授の功績をたたえた碑
(テンピ・タウン・レイク)

 

 

 ドイツのケルンに本拠を置くドイツ最大の航空会社。日本の全日空と事業提携をしている。このルフトハンザがフェニックス・グッドイヤー空港にパイロット訓練所を設置している。訓練の本拠点は、ドイツのブレーメンにあり、多数のパイロットの卵たちが訓練を受けている。また、好天に恵まれ飛行訓練に適したアリゾナにも訓練所を設けた。

   

 ソルト・リバーは、アリゾナの東部、ホワイト・マウンテンの山脈を水源とし、メサ、テンピなどに流れ込んできて、ヒラ・リバーと合流する川だった。折々、大雨による洪水を起こし、ひどい時は、テンピだけでなくフェニックス一帯が水びたしとなることが多かった。
 そんなテンピにチャールス・ヘイデンがやってきた。彼は、テンピの創立者と呼ばれ、この地で最初の入植者である。1860年に荷馬車業をしてこの地にたどり着いた彼は、ソルト・リバーを流れる水を見て、この地の明るい未来を予見した。そして、彼は、ここで新たな人生の出発をし、雑貨品店、製粉工場、鍛冶屋そして、川の岸と岸を結ぶ渡し舟業務を開始した。
 水が豊かなので、ソルト・リバーを水源として農業が始まった。こうして人口が増え、1885年には、テンピに師範学校が創立されるまでになった。この学校が後に、今のアリゾナ州立大学へと発展する。

   

 ソルト・リバーは、降雨量が増えると氾濫して町に甚大な被害を及ぼし、降雨量がなくなると川底が地表に出て砂漠となる。農業が発展し、人口が増えるにつれ、住民や農場主たちから、この川の治水を要求する声が高まってきた。確実な水量の確保と氾濫防止ためにダム建設の必要性が出てきた。そして、待望のルーズベルト・ダムが1911年に完成した。
 ところが、ダムの完成に伴い、テンピを流れる水量は著しく減少した。それは、自然美の喪失につながり、川周辺の生態系も犠牲を払うことになった。

   

 こうして、かつてヘイデン・フェリーと呼ばれた渡し舟の姿は消滅し、ただの荒野のようになってしまったソルト・リバーに、エルモア教授がその蘇生の可能性を探った。そして、それに応えて学生たちが「リオ・サラド・プロジェクト」を立ち上げたのだ。
 ちなみに「リオ・サラド」とはスペイン語で、「ソルト・リバー」の意。18世紀にアリゾナに来た最初のヨーロッパ人はスペイン人だった。彼らが、この川に来て、川底の岩に塩分があることを知った。こうして、塩(サラド)の川(リオ)ということで、リオ・サラド(塩の川)と呼ぶことになった。後にアングロが来て、英訳し、ソルト・リバーと改名した。

   

 かつてソルト・リバーで泳いだり、水を楽しんだという地元の人たちのノスタルジーも手伝い、「リオ・サラド・プロジェクト」は、もう一度ここに満々と水を、という住民の夢を実現することになる。こうしてテンピ・タウン・レイクという人工湖が誕生することになった。
 この湖の建設は、1997年8月に始まった。
 もともと砂漠で水の少ない土地だ。一体、どこからそんな大量な水を獲得できのだろうか。
 アリゾナ州内の水源は、その3割がコロラド川に頼っている。そこで、そのコロラド川から灌漑用水路を使ってテンピまで水を運ぶことになった。水がコロラド川からテンピ・タウン・レイクまでに流れ込み満杯になるまで、一月以上の時間がかかった。完成は、1999年。
 レイクには、テンピ・ビーチ・パークという公園、テンピ・センター・フォー・ザ・アーツという劇場が建設され、市民の憩いの場が創出された。

 

 この人工湖の誕生は、多大なビジネス効果を引き起こし始める。アパートやコンド、商用ビルがレイクの南側に出現する。すでに昨年完成した「マリナ・ハイツ」は、レイクの南側20エーカーを使った、総工費6億ドルの大型不動産プロジェクトだ。大手テナントは、全米最大級の保険会社であるステートファーム社で、マリナ・ハイツのビルに8,000人の社員を抱える。
 現在工事中の大規模な開発計画の一つ、ウォーターマークは、レイクの北側のスコッツデールロードと高速道路202号が交差する南西角で、15エーカーの敷地に、コンド、ホテル、商用ビルが出現する。工事は昨年始まり、総工費1億2,600万ドルで6年を費やして完成の見込みだ。
 また、テンピ・センター・フォー・ザ・アーツの隣に建設が始まったのは、「I.D.E.A」の技術、研究、芸術キャンパス。18エーカーの敷地に、5つの商用ビルやレストランなどが生まれ、宇宙航空研究開発などを行う研究施設が入居する予定。このプロジェクトは、2020年の完成を目指している。

 これまでのリオ・サラド・プロジェクトは、大成功で、テンピ市が積極的に関わった努力が大きな実を結び始めた。今やテンピ・タウン・レイクの訪問者数は、グランド・キャニオンに次ぐ州内で第2位の記録を出している。
こうした成功を背景に、今度は、次の新たなプロジェクトを誕生させる可能性が出てきた。これをリオ・サラド・プロジェクト2.0と呼ぶ。これは、ジョン・マッケイン上院議員が音頭を取って浮かび上がってきた新プロジェクトだ。テンピだけでなく、フェニックス市はもちろん、ソルト・リバー周辺の町々を全て含めた一大開発計画を開始しようというものだ。この新プロジェクトは、アリゾナ州立大学の建築学部は当然として、大学の水資源研究センターなどが一体となって、単なる都市開発ではなく、水資源の保全を科学的に究めた知的で恒久的な郷土開発を目指すというものだ。
 マッケイン氏は、「ソルト・リバー周辺のより多くの指導的立場の人たちが、リオ・サラドをビジネス、公的レクリエーション、住宅、インフラを含めた総合的な公共施設として、新たな姿を創出していくことに同意してきています。このことは、テンピ・タウン・レイクのこれまでの貢献でわかるように、重要な経済効果を生んでいくことになるでしょう」と話している。
 リオ・サラド・プロジェクト2.0は、フェニックス、テンピ、メサ、グッドイヤー、アボンデール、バッカイなどの市町とアメリカ・インディアン居留区を含めた東西45マイルもの距離を総括的に蘇生させていく計画となる。そこで、各市がそれぞれの設計を持ち寄り、アリゾナ州立大学がその橋渡し役を果たしていくことになるようだ。約半世紀前に生まれたリオ・サラド・プロジェクトが次の半世紀後にアリゾナで全く新しい姿を創造していくという構想だ。今後の経緯に注目したい。

   
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