テンピに本キャンパスを持つアリゾナ州立大学(ASU)。この大学に芸術学部がある。
この芸術学部が1984年に「ビハインド・ザ・マスク(Behind the Mask)」という名称で日本文化紹介イベントを6ヶ月の期間で行った。ビハインド・ザ・マスクとは、仮面の向こう側という意味で、言って見れば、「真実の姿」を指した表現だ。ちなみに日本のバンド「イエロー・マジック・オーケストラ」が1979年に発表したアルバムに「ビハインド・ザ・マスク」という曲が収録されている。
ASUのこの企画は、フェニックス市内各所で日本文化の講演などを行い、その締めくくりとしてダウンタウンで日本祭りのイベントを開催するものだった。
第一回アリゾナ祭り
この時、すでに数年前から瀧口正子さんやジャネット池田さんなどが中心となって、フェニックスのエンカント公園で茶道や日本舞踊を披露するイベントが行われていた。こうした背景から、彼女らがASU主催の祭りに参加することになった。
また、もう一つ、グループが祭りに加わることになった。それは、「ジャパン・アメリカ・ソサエティー(Japan-America Sociaety of Phoenix)」という組織で、日本とアリゾナの架け橋を目指して活動を開始していた。そのグループの責任者が、ケリー・モア氏だった。モア氏は、日本に長い間住んでおり、ちょうどその頃、出身地のアリゾナに戻ってきていた。
こうして、日本と何らかの縁を持つ日系人やアメリカ人が「アリゾナ祭り」を手がけた。場所は、フェニックスのダウンタウンにあるヘリテージ公園内。祭りを開催すると、5,000人ほどの人たちが集まってきた。それは、予想以上に大成功なイベントとなったようだ。