このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
アリゾナで生まれた日本酒
2017年12月号
日本食の普及とともに日本酒がアメリカで人気を高めている昨今、アメリカ産の日本酒も出回り始めている。そんな中、アリゾナで日本酒を造り始めた人がいる、という情報を聞きつけ、早速、面会と見学を兼ねて、その方を訪ねてみた。
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ホルブルックにやって来た櫻井さん |
櫻井厚夫さんは、37歳。アリゾナの地に引っ越してきたのは3年前だった。しかも、フェニックスやツーソンなどの都市ではなく、ホルブルック(Holbrook)という北アリゾナの小さな町だ。ホルブルックは、人口5,000人ほどの町で、19世紀の後半に鉄道が建設されるときに牛肉輸送の本拠地として誕生した。当時、ユタ州から多くのモルモン教徒がこの地に移住してきた。また、ナバホ族、ホピ族の居留区が周辺にあり、町の4分の1がこうしたネイティブ・アメリカンの住民で占められている。町に入るとすぐ目に入ってくる古い大きな建物がある。これは、ナバホ郡裁判所で1989年に建設された。現在ナバホ郡歴史協会がこのビルを使用していて、アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。 |
日本での出会い
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日本の酒造会社に勤めていた櫻井さん。転勤で秋田県大館市に住んでいた彼が、ある女性と知り合った。彼女は、ジェット・プログラムで日本に来て、大館市の学校で英語を教えていた。ジェット・プログラムは、語学指導などを行う外国青年招致事業で、外国青年を招致して地方自治体で任用し、外国語教育と国際交流を促進するために行われてる公共プログラムだ。北アリゾナ大学を卒業して、ジェット・プログラムに応募し、彼女は、アリゾナから秋田の地に移っていた。 |
いつか海外で、、、 |
櫻井さんは、酒造会社に就職した当時から、いつか将来海外で仕事をしたいと思っていた。その思いが英語の勉強に駆り立てた。酒造会社で酒造のイロハを身につけ、腕を磨いた。一級酒造技能士の検定にも合格した。日本では、酒税法で新たな酒造企業を起業することができなくなっている。つまり、独り立ちして新たな酒造会社を作ろうとしても、政府からは新たな酒造許可は発行されない。ならば、酒造会社の起業という夢を実現するには、海外でやるしかない。こうした夢と大志がいつも心の中で燃え続けていた。そのために英語を勉強していた彼が、英語教授のためにアメリカからやってきた女性と知り合うことになる。そして、彼女は、アリゾナ州ホルブルック出身で、ナバホ族のネイティブ・アメリカンだった。 |
次はアメリカ |
足掛け15年日本に滞在したパトリシアさんが、アメリカに来ることになった。実は、日本でアメリカ人の男性と知り合ったからだ。 そして、日本を後にして、アメリカで結婚した。子供を産み、家庭を持った。博士課程は断念した。アメリカは、ウィスコンシンで生活。アメリカに着いた彼女は、今まで以上に一層、日本の美を紹介する何かをしたいという願望が心の中から突き上げてきた。いつか、日本の庭園か博物館を作ってみたいと思っていた。 しばらくして離婚。自立心の強い彼女は、一人で何かを始めようとしていた。そこで、ウィスコンシンシンの寒さに嫌気がさしていた彼女は、どこか暖かいところに移ろうと思った。 |
アリゾナに移住 |
奥さんの出身地、ホルブルック。この小さな町に一家で引っ越してきた。それが3年前のことだった。さて、渡米を果たした櫻井さんだが、最初は、アリゾナで仕事をするつもりは、全くなかった。むしろ、ポートランドやシアトルで始めようと思っていた。実際にその場所も訪れた。いろいろと起業のチャンスを探ってみた。しかし、なかなか思ったように行かない。その州での酒造免許も簡単に取得できない。こんな状態が1年ほど続いた。 もう、どうしたら良いかわからなかった。 |
思わぬ出会い |
思案に暮れていたその頃、ある日、ホルブルックの公園を歩いていた。そして、たまたま同じ公園に来ていた男性と会話が始まった。どこの誰かもしれないこの男性に、櫻井さんは、酒造ビジネスを立ち上げようとしていること、思ったように進んでいないことなどを語り始めていた。それを聞いていたこの男性は、「なぜ、アリゾナでやってみないのか」と櫻井さんに尋ねた。 この一言だった。過去1年の間、一生懸命アリゾナの外だけを考えていた。アリゾナで仕事を、などと夢にも思っていなかった。この男性の一言で、「そうだ、アリゾナでやってみたらどうか」と考えるようになった。 必死に手探りでチャンスを求めていた彼には、「神のお告げ」の一言のような思いだった。 |
自分の足元から |
「他が駄目だからアリゾナで始めようか」と、何となく仕方なくアリゾナ州に目を向けた彼だったが、結果的には、これが最良の選択だったのだ。 早速、アリゾナ州での酒造免許取得に向けて、櫻井さんの行動が始まった。連邦政府、州政府、そして市からも免許を取る必要があり、書類提出、過去の犯罪歴などを調べるバックグランド・チェックなどを通過する。そして、ホルブルック市からは、周辺住民の了解を得るという条件が出された。櫻井さんは、自宅で酒造作業をするため、一般住居での酒造事業には、その周辺住民にその事業内容を知らせる義務を負った。そこで、広聴会が開かれ、櫻井さんはしっかりとその説明しなければならなかった。 ホルブルックは、前述のように、モルモン教徒の住民が多く、飲酒に関しては、厳しい態度を示す。彼の周囲の住民もモルモン教徒が多く、酒造に関して、誤解をする人もいたようだ。しかし、広聴会で、熱心に真心を込めて説明する櫻井さんに、住民は理解を示した。しかも今では、櫻井さんに声援を送ってくる住民も多いという。 |
ついに酒造許可取得 |
こうして1年以上を費やして、ようやくアリゾナ州から酒造許可をもらったのは、今年の1月のことだった。米はカリフォルニア米の精米業者から仕入れ、自宅の裏庭に作った作業所であらゆる作業を行う。 とにかく、ゼロからの出発だ。アメリカで酒造をしている日本人はいるが、櫻井さんは、日本の酒造会社から派遣されたわけでもなく、たった一人で始めた事業だ。酒造のノウハウは、日本で磨き切ったが、その工程に必要な様々な器具が簡単に手に入らない。もちろんアメリカでの作業なので、当然のことだが、大きな障害を一つ一つ工夫をしながら、克服してきた。設備は、ほとんど彼の手作りだ。また、工程に理想な温度は、摂氏10度。市販のエアコンを買ってきて備え付け、それを改良して、低温を保つようにした。 今では、フェニックス界隈の日本食レストランや日本食料品店などに卸している。お客さんからは、「美味しい」という声が届き、反響は良い。 |
水 |
造酒には、良質の水が不可欠だ。そして何と、櫻井さんのいるホルブルックの水は、アリゾナで一番良質だということがわかった。ホルブロルック周辺の山々に降る雪や雨。それが地下に染み込んでいく過定で、濾過され、地中のミネラル分を溶かし込んで名水となる。この名水が造酒に欠かせない原料と成る。日本から来たばかりの時には、そんなことは知る由もなかった櫻井さんだ。まさに、彼の堅固な心に天が味方したのだ。 |
地元の反響 |
櫻井さんの日本酒は、早くもアリゾナで注目されている。地元ホルブルックの新聞でも取り上げられ、櫻井さんの卓越した酒造りとその努力、そして彼の人となりを詳細に紹介している。また、本年9月のフェニックス・マガジンでも「東洋のスピリット」と題して、櫻井を取り上げた。その上、10月には、アリゾナのテレビ局でも「アリゾナ酒」がテレビのスクリーンに映し出されている。 |
今後の展望 |
もちろん、ビジネスを拡大していくことが念頭にあるが、とりあえず、近くに1エーカーの土地を購入した。いつか近い将来、自宅での酒造から商業用地での工場作業に発展させたいと思っている。そして、同じ敷地内に日本関係の店などができたら、などと考えている。「日系人たちがそこを訪れ、見学を通して日本のルーツを学んでもらえるような場所を提供できたら、」とも語る。とにかく、彼の夢はまだまだ大きく膨らみ、将来の大成を胸に秘めている。彼は、とにかく、人々に喜んでもらいたい、という心で、丹精を込めて酒造に励む。 あの日、公園で偶然会ったあの男性の一言、、、「なぜ、アリゾナでやってみないのか」。あの人の名前も知らない。どこにいるのかもわからない。あれから再度会うこともなかった。しかし、ちょうど一番悩んでいた時に、櫻井さんの前に現れ、一言残していった。そのお陰で、今、こうしてアリゾナの酒が誕生したのだ。夢への執念と機運が織りなす人生のドラマがこれからも続く。 |
アリゾナ酒(Arizona Sake)を販売している店 |
Fujiya Market, 1335 W University Dr #5, Tempe, AZ |
アリゾナ酒(Arizona Sake)を扱っているレストラン |
Nobuo at Teeter House, 622 E Adams St, Phoenix, AZ |