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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

ツーソンで日本庭園を造ったベルギー人

2017年11月号

 フェニックスには、日本親善庭園が姫路市とフェニックス市との姉妹都市交流を通して完成された。そこには、ミニ日本を楽しむ市民が足を運んでくる。
ところが、ツーソンにも日本庭園があるという事実は、あまり知られていない。
しかも、この庭園は、日本人が造ったものでもなければ、日本のどこかが資金援助をしたものでもない。
 今月は、このユニークな日本庭園を訪れ、その創立者からお話を聞いてみた。

 

 

 

庭園の発案者、そして創立者

 この庭園は、あるベルギー人の女性がたった一人で発案し、完成にこぎつけたものだ。この「ベルギー」と「日本」と「ツーソン」との関係がどうつながるのか、という謎を解いてみよう。そして、その背景には、何かを追い続けた一人の女性の人生がある。

パトリシア・デリダー(Patricia Deridder)

 

 その女性は、パトリシアさん。ベルギーで生まれ、高校を卒業すると同時に日本に渡った。ベルギー生まれなので、フランス語が母国語。日本語も英語も日本で学んだという。彼女が高校生の時、写真などで見た日本の庭園や芸術の美が若い彼女の心を揺さぶった。
 当時(1970代の始め)、日本は、戦後の混乱から立ち上がり経済大国への道を歩み始めていた。ベルギーにも、日本企業が入ってきていた。日本で日本語を学んでベルギーに戻って来れば、こうした会社に就職できるかもしれない、という思いもあった。高校卒業するや否や、たった一人で日本に発った。彼女の両親は、パトリシアさんの自立を喜んで、一人旅を許した。

 

24才の時のパトリシアさん。弟さんと。
縄文文化の調査をしているパトリシアさん
 
 
日本の生活

 日本では、まず言語を学ばなければならない。そこで早稲田大学にあった外国人のための日本語集中クラスを取った。その後、上智大学に入学し、考古学を専攻して縄文時代の日本を学んだ。フランス語、英語、そして日本語ができるというので、勉強の傍ら、仕事もすることができた。
 彼女は、上智を卒業した後、ハワイの大学で修士過程を取り、再び日本に戻ってきた。その後、ベルギーの大学で博士課程を取ろうとした。日本の考古学研究の論文を書くために、日本のありとあらゆる場所に足を運んだ。古墳を訪れたり、博物館を見学に行ったり、片田舎の町にも足を伸ばした。閉口したのは、地元の方言だった。それでもジェスチャーなどで通じ合うことができた。

   
次はアメリカ

 足掛け15年日本に滞在したパトリシアさんが、アメリカに来ることになった。実は、日本でアメリカ人の男性と知り合ったからだ。
 そして、日本を後にして、アメリカで結婚した。子供を産み、家庭を持った。博士課程は断念した。アメリカは、ウィスコンシンで生活。アメリカに着いた彼女は、今まで以上に一層、日本の美を紹介する何かをしたいという願望が心の中から突き上げてきた。いつか、日本の庭園か博物館を作ってみたいと思っていた。
 しばらくして離婚。自立心の強い彼女は、一人で何かを始めようとしていた。そこで、ウィスコンシンシンの寒さに嫌気がさしていた彼女は、どこか暖かいところに移ろうと思った。

   
そして、ツーソン

 その暖かい場所が、アリゾナのツーソンだった。ツーソンに一人で引っ越してきた彼女は、同じ時期に悲しい経験をすることになった。2005年と2006年に彼女の両親が相次いで亡くなってしまった。両親もまた、寒いベルギーを去り、温暖なフランスに移住していた。パトリシアさんは、そのフランスで両親が持っていた不動産を売り払った。自分もフランスにアパートを持っていたが、それも売った。そして、これからの人生を模索した。両親の不動産を売却したので、資金があった。いよいよ彼女の夢を実現するチャンスだと思った。そして、思い立ったのが日本庭園を造ることだった。
 現在の土地を購入し、造園の準備に入った。非営利団体を立ち上げ、早速、その土地に彼女が魅せられていた日本の庭園美を実現させていった。個人運営でもあり、規模こそ小さいが、日本らしい庭が出現した。
 今、州外や海外からツーソンを訪れる人たちが、インターネットなどで庭園を知り、訪問してくるようになった。庭園内では、花道などのイベントを始めた。

夢 (YUME)

 日本庭園には、YUMEと名付けた。「夢」は、まさしく彼女の夢でもあった。
パトリシアさんの母が病気だった時、ベルギーの彼女の友達で芸術委員会の人が、パトリシアさんにある贈り物をした。
 それは、「夢」の漢字を使った美術作品だった。そのアートワークを母親に見せる前に、母親は亡くなってしまった。そこで、パトリシアさんの庭園に、その「夢」をロゴにして「ユメ日本庭園」と名付けた。また、両親のお陰で、日本に行くことができ、両親のお陰で資金も調達できた。その親への感謝の心を込めた「夢」の庭園を完成させることができた

   
今後の展望

 パトリシアさんは、近い将来、庭園内に博物館を作ろうと計画している。日本の美を紹介する場を作り、多くの人に知ってもらえることが彼女の「夢」でもある。未だ、孤軍奮闘の庭園だが、日本人でない彼女が日本に惚れ込んでいる情熱は、これからも消えることなく、形として残っていくことになろう。

https://www.yumegardens.org