このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
ツーソンで日本庭園を造ったベルギー人
2017年11月号
フェニックスには、日本親善庭園が姫路市とフェニックス市との姉妹都市交流を通して完成された。そこには、ミニ日本を楽しむ市民が足を運んでくる。
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庭園の発案者、そして創立者 |
この庭園は、あるベルギー人の女性がたった一人で発案し、完成にこぎつけたものだ。この「ベルギー」と「日本」と「ツーソン」との関係がどうつながるのか、という謎を解いてみよう。そして、その背景には、何かを追い続けた一人の女性の人生がある。 |
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パトリシア・デリダー(Patricia Deridder)
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その女性は、パトリシアさん。ベルギーで生まれ、高校を卒業すると同時に日本に渡った。ベルギー生まれなので、フランス語が母国語。日本語も英語も日本で学んだという。彼女が高校生の時、写真などで見た日本の庭園や芸術の美が若い彼女の心を揺さぶった。 |
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日本の生活 |
日本では、まず言語を学ばなければならない。そこで早稲田大学にあった外国人のための日本語集中クラスを取った。その後、上智大学に入学し、考古学を専攻して縄文時代の日本を学んだ。フランス語、英語、そして日本語ができるというので、勉強の傍ら、仕事もすることができた。 |
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次はアメリカ |
足掛け15年日本に滞在したパトリシアさんが、アメリカに来ることになった。実は、日本でアメリカ人の男性と知り合ったからだ。 |
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そして、ツーソン |
その暖かい場所が、アリゾナのツーソンだった。ツーソンに一人で引っ越してきた彼女は、同じ時期に悲しい経験をすることになった。2005年と2006年に彼女の両親が相次いで亡くなってしまった。両親もまた、寒いベルギーを去り、温暖なフランスに移住していた。パトリシアさんは、そのフランスで両親が持っていた不動産を売り払った。自分もフランスにアパートを持っていたが、それも売った。そして、これからの人生を模索した。両親の不動産を売却したので、資金があった。いよいよ彼女の夢を実現するチャンスだと思った。そして、思い立ったのが日本庭園を造ることだった。 |
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夢 (YUME) |
日本庭園には、YUMEと名付けた。「夢」は、まさしく彼女の夢でもあった。 |
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今後の展望 |
パトリシアさんは、近い将来、庭園内に博物館を作ろうと計画している。日本の美を紹介する場を作り、多くの人に知ってもらえることが彼女の「夢」でもある。未だ、孤軍奮闘の庭園だが、日本人でない彼女が日本に惚れ込んでいる情熱は、これからも消えることなく、形として残っていくことになろう。 |
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https://www.yumegardens.org | ||||