このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
パラリンピックを目指す平沢奈古さんに聞く
2016年5月号
4月にアリゾナ州フェニックスで行われた第27回アリゾナ・カップ。これは、アーチェリーの国際大会で、毎年、各国から選手が集まり、その技を競う。今年は、地元のアメリカを含む23カ国から550名が集った。この大会に日本から参加した平沢奈古さんにインタビューしてみた。 |
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アリゾナカップは、今回で何回目ですか。 |
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3回目です。 |
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2年前にここに来られた時は、パラリンピックを目指しておられましたね。 |
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そうですね。ようやく、パラリンピック出場が内定いたしました。 |
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そうですか。おめでとうございます。 |
ありがとうございます。 |
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平沢さんは、生まれた時から障害児だったということですが、 |
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そうですね。病名がわからないんですが、生まれた時から足と手が不自由でした。 |
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24才の時にアーチェリーを始められたきっかけを教えてください。 |
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その時、自動車の免許を取ったんです。それまでは、余り外に出たり、運動をしたりするのが好きでなかったんです。運転免許を取った時、姉と地元の障害者スポーツセンターに行きました。そこで、車椅子テニスをやってみたんですが、うまく車椅子を動かすことができず、諦めてセンターを出ようとしたところ、センターの方がセンター内をゆっくり見てくださいと言われたんです。そこで、見回っていると、アーチェリーの場所があったんです。 |
アーチェリーは、健常者と障害者が同じように戦えるというスポーツだと伺いましたが、、、 |
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そうですね。今日も障害者の方がたくさん来ておられますが、このスポーツは、体の障害に関係なく競えるので、とても面白いスポーツだと思います。 |
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平沢さんは、手の障害がありますが、アーチェリーは大丈夫ですか。 |
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私は、手で握ることができるんですが、放すことができないんです。でも握れれば、引っ張れるので、大丈夫です。 |
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将来の展望を教えてください。 |
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アーチェリーをいつかやめるということは考えていませんし、年をとってもやっていきたいですね。それから、アーチェリーを今も子供たちに教えているんですが、これからもずっと教えてアーチェリーを広めていきたいと思います。 |
アーチェリーが平沢さんに与えたものを教えてください。 |
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前は、外にでるのが好きでなかった私ですが、アーチェリーによって、こうして海外に一人で来たりすることができて、冒険するのが好きになりました。それから、たくさん友達ができましたので、自分の世界がとても広がったようです。 |
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海外に来られて何か印象はありますか。 |
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どこに行っても助けてくれる人がいます。車椅子で動いていると、全く知らない人たちが荷物を持ってくれたり、とても親切にしてくれます。また、アーチェリーを通して出会いが広がりました。アーチェリーの友達は、日本よりむしろアメリカの方が多いように思います。 |
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子供たちにアーチェリーを教えておられますね。 |
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車椅子に乗っている私が子供たちの前に行きますが、子供たちは、私を見て、車椅子に乗っていても何でもできるんだな、と思ってくれています。私がパラリンピックを目指している姿、そして、失敗しても諦めないで挑戦する心を、子供たちに伝えています。以前は障害について話したんですが、今では、障害については、余り話さなくなりました。小さい頃から障害者に接することで、偏見なんかが減っていくんではないかなと思います。それから、学校の中にも障害を持っている子供たちもいますので、そういう子たちが勇気を持ってもらえれば、嬉しいです。
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そうですか。お時間を取っていただいてありがとうございます。ご健闘をお祈りもうしあげます。 |
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ありがとうございます。 |