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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

パラリンピックを目指す平沢奈古さんに聞く

2016年5月号

4月にアリゾナ州フェニックスで行われた第27回アリゾナ・カップ。これは、アーチェリーの国際大会で、毎年、各国から選手が集まり、その技を競う。今年は、地元のアメリカを含む23カ国から550名が集った。この大会に日本から参加した平沢奈古さんにインタビューしてみた。
平沢さんは、埼玉県出身。女子アーチェリー選手で、現在、日本身体障害者アーチェリー連盟に所属。2004年、アテネパラリンピックで個人銅メダルを獲得した。

アリゾナカップは、今回で何回目ですか。
 

3回目です。

   
 
2年前にここに来られた時は、パラリンピックを目指しておられましたね。
 

そうですね。ようやく、パラリンピック出場が内定いたしました。
今年の9月にリオデジャネイロで行われます。

 

そうですか。おめでとうございます。
 

ありがとうございます。

 
平沢さんは、生まれた時から障害児だったということですが、
 

そうですね。病名がわからないんですが、生まれた時から足と手が不自由でした。

 
24才の時にアーチェリーを始められたきっかけを教えてください。

その時、自動車の免許を取ったんです。それまでは、余り外に出たり、運動をしたりするのが好きでなかったんです。運転免許を取った時、姉と地元の障害者スポーツセンターに行きました。そこで、車椅子テニスをやってみたんですが、うまく車椅子を動かすことができず、諦めてセンターを出ようとしたところ、センターの方がセンター内をゆっくり見てくださいと言われたんです。そこで、見回っていると、アーチェリーの場所があったんです。
私は、もともと子供の時から弓道に憧れていたんです。けれど、弓道は、弓が大きいので車椅子では無理だな、と思っていますした。ところが、アーチェリーだったらできると感じ、教室に通うことにしました。それが、アーチェリーの道に入ったきっかけです。それから1年後に地元、埼玉県の大会に出場し、4位で入賞できて、楯をいただきました。それがとても嬉しくて、それから、アーチェリーをし続けることになりました。それから8年後に、海外の大会に初めて出場し、ニュージーランドに行きました。

 
アーチェリーは、健常者と障害者が同じように戦えるというスポーツだと伺いましたが、、、
 

そうですね。今日も障害者の方がたくさん来ておられますが、このスポーツは、体の障害に関係なく競えるので、とても面白いスポーツだと思います。

 
平沢さんは、手の障害がありますが、アーチェリーは大丈夫ですか。
 

私は、手で握ることができるんですが、放すことができないんです。でも握れれば、引っ張れるので、大丈夫です。

 
将来の展望を教えてください。

アーチェリーをいつかやめるということは考えていませんし、年をとってもやっていきたいですね。それから、アーチェリーを今も子供たちに教えているんですが、これからもずっと教えてアーチェリーを広めていきたいと思います。

 
アーチェリーが平沢さんに与えたものを教えてください。
 

前は、外にでるのが好きでなかった私ですが、アーチェリーによって、こうして海外に一人で来たりすることができて、冒険するのが好きになりました。それから、たくさん友達ができましたので、自分の世界がとても広がったようです。

 
海外に来られて何か印象はありますか。
 

どこに行っても助けてくれる人がいます。車椅子で動いていると、全く知らない人たちが荷物を持ってくれたり、とても親切にしてくれます。また、アーチェリーを通して出会いが広がりました。アーチェリーの友達は、日本よりむしろアメリカの方が多いように思います。

 
子供たちにアーチェリーを教えておられますね。
 

車椅子に乗っている私が子供たちの前に行きますが、子供たちは、私を見て、車椅子に乗っていても何でもできるんだな、と思ってくれています。私がパラリンピックを目指している姿、そして、失敗しても諦めないで挑戦する心を、子供たちに伝えています。以前は障害について話したんですが、今では、障害については、余り話さなくなりました。小さい頃から障害者に接することで、偏見なんかが減っていくんではないかなと思います。それから、学校の中にも障害を持っている子供たちもいますので、そういう子たちが勇気を持ってもらえれば、嬉しいです。

 

 
そうですか。お時間を取っていただいてありがとうございます。ご健闘をお祈りもうしあげます。
 

ありがとうございます。