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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

アリゾナに潜むゴーストタウン、
キャッスル・ドーム

2013年5月号

 ある日突然、住民がその町を捨てて姿を消した。人影がなくなった町には、彼らが脱ぎ捨てた衣類やそれまで使っていた食器類が散在して置き去りにされていた。まるで皆が急いで立ち去ってしまったような気配だった。それから何年も年月が経ち、ある日その町をそっくり購入した夫婦がいた。そしてゴーストタウンがゴーストタウンのまま、訪問者を受け入れるようになった。

 今月は、その廃墟の町、キャッスル・ドームを覗くことにしよう。

キャッスル・ドームの語源は

 英語では Castle Dome。つまり城の丸天井。18世紀にこの地に来たスペイン人が「巨人の頭」と呼んだ山脈。ドームのような恰好の大きな山なので、後に、こう呼ばれるようになった。

   
鉱山の歴史

 時は、1862年。アメリカ西部はゴールラッシュの嵐がまだ続いていた。ジャコブ・スニベリーという軍人がこの地にやってきて銀の鉱山を見つけた。この鉱山はもともと17世紀にスペインの探検隊が発掘し、後に捨て去っていった場所のようだ。スニベリーは、1862年に鉱山を開いた。そして、1880年代には、人口が3,000人にも登るほどの町となった。ここでは銀と鉛の鉱脈があり、採掘は1979年まで続いたので、一世紀以上生存したことになる。二つの世界大戦では、ここは大変なブームを呼んだ。大量の弾丸生産のため、鉛の需要が急上昇したからだ。第二次世界大戦時には、この鉱山から900万ポンドもの鉛の鉱石が発掘され、全米トップの生産量を誇るまでになった。

   
閉鎖後の鉱山を購入
キャッスル・ドーム博物館のサイト

 キャッスル・ドームは、1979年に閉山。ここで生活を営んできた住民は全員去った。砂漠の真ん中に残ったものは、建物と建物の中に置き去られた多くの生活用品だった。それから14年も経ち、ある夫婦がこの場所をそっくり購入した。人里離れた荒れ地に残った町。こんな所を何故?
 ここを買い取ったアームストロング夫妻は、町の廃墟に入って次々と興味深い品々を見つけ始めた。「ここはタイタニック号のようなもの」と表現している。あの沈没したタイタニック号には乗組員や乗客の所持品や船の備品などが未だに残されたまま海底に隠れている。このゴーストタウンに来たアームストロング夫妻は、同様な感覚を持って、宝の山を探し当てたようだ。彼らが見つけた数々の品には、100年の歴史と人々の生活を物語る宝を表現していた。こうして、キャッスル・ドームは、当時の姿をありのままに見せる町として蘇った。夫婦は博物館を設置し、訪問者を迎え始めた。地理的に遠隔地なので、大量の観光客が押し寄せることはないが、だからこそ、かつてのオールドウェストをそのまま見る絶好の機会を提供する場となっている。一見の価値あり。

 
コファ国立自然保護区
(Kofa National Wildlife Refuge)

 

公式サイト

 キャッスル・ドームのゴーストタウンは、コファ国立自然禁猟区の中にある。この禁猟区は、自然保護、とりわけオオツノヒツジの保護のために1939年に設立された。66万エーカーを越える広大な砂漠地帯でコファとキャッスル・ドームの二つの山脈があり、切り立った岩の周辺にサボテンなど砂漠特有の植物が生息している。オオツノヒツジは、この地で数を増やし、現在約1,000頭近くがいる。