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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

林立する岩の柱、チリカワ国立記念物

2011年4月号

 自然は大芸術家だ。アリゾナには不思議な恰好をした岩山が無数にあって、その自然美を楽しめる最適の場だが、チリカワ国立モ記念物も、最も端的な例として挙げられる岩の不思議を満喫できる所だ。

 今月はこの奇妙な形をした岩の柱をかかえる国立公園をゆっくりと歩いてみよう。

 
チリカワ・アパッチ

 チリカワ(Chiricahua) とは、昔からこの一帯に住むアパッチ族の名前だ。彼らは、奇妙な形の岩が無数に立っているこの地を「立ち上がった岩」と呼んでいた。もともと彼らがこの地にやってきたのは、西暦1400年代と言われている。アリゾナの南東部とニューメキシコの南西部に移住した彼らは、主に狩猟を生活の糧としていた。
 まもなく、彼らの生活は大きく変化せざるを得なくなった。1500年代にスペイン人がやって来たからだ。スペイン人は、馬と銃をヨーロッパから持って来た。アパッチ族は、短時間で馬の操り方と銃の撃ち方を学んだ。
 1821年にメキシコが独立し、ヨーロッパ人の入植と金鉱発掘が盛んとなる。こうしてアパッチ族と白人との熾烈なる戦いが始まる。馬と銃を使いこなしていた狩猟部族のアパッチは、勇敢に戦いを展開した。血で血を洗う戦闘が繰り返された。この頃、アパッチを率いたのは、あの有名な「ジェロニモ」と「コチーズ」だった。しかし、巨大な近代兵器と狡猾な政策を駆使した白人によって、ジェロニモが率いるチリカワ・アパッチは、1886年に降伏。ジェロニモはフロリダの収容所に囚人として送られ、その他のアパッチ族は、居留区に住むことになり、現在に至っている。

   
ファラウェイ・ランチ(Faraway Ranch)

 この公園の入り口を車で入り、しばらく運転すると、道路の北側にファラウェイ・ランチに行く道がある。このファラウェイ・ランチには、この地に初めて入植した白人が作った牧場と家屋がある。現在は、国立公園の管轄下にあるが、もともとスイス人のニール・エリクソンとエンマ・エリクソン夫妻が1888年に入植してスタートした。夫婦が亡くなった後、その娘リリアンと夫のエド・リグズがここをゲスト用のランチとして管理し、多くの人がここで宿泊している。エリクソンの子供達が皆亡くなると、国立公園がこの地の修復と管理を行ない、現在も公園局の管轄となっている。

岩の柱、自然の力

 この一帯の地殻変動は、大規模な火山活動から始まった。今から2700万年ほど前に起きた火山活動は、1200平方マイルという広大な土地に火山灰をまき散らした。地下から吹き上げる高熱の火山灰がこの一帯を覆って、その後冷却すると流紋岩と呼ばれる火山岩となった。周囲の気温が下がり、地殻の隆起が起こると、この火山岩に亀裂が入る。そして、途方のない長い時間をかけて、水と風による風化作用によって、亀裂した岩の部分が少しづつ削れて、不思議な形を作り上げてきた。

 

 

 
 
   
 
   
 
国立記念物の設定

 この一帯の自然美を保護する目的で国立記念物が設定されたのは、1924年のことだ。その後、全世界を襲った大恐慌の失業対策としてアメリカで生まれた市民保全部隊がこの地に派遣された。若手のアメリカ人はここに合宿し、道路建設、トレイル建設などを行ない、国立公園内の整備充実に貢献した。彼らはこの合宿所に、第二次世界大戦が始まるまで残った。戦争が始まると、すぐに彼らが戦地に派遣されることになる。しかし彼らが作り残していった道路などは、今でも多くの観光客によって利用されている。