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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

人類の遺産、ウパッキ国立モニュメントとサンセット・クレイター

2009年10月号

 ウパッキ国立モニュメントは、そこに隣接するサンセット・クレイター国立モニュメントと共にフラッグスタッフのすぐ東側に位置する。当モニュメントは、人類にとって貴重なモニュメントとして、多くの観光客が訪れていいる。

   
サンセット・クレイターの噴火

 シナワと呼ばれる農耕部族の先住民が何百年もの間、フラッグスタッフの周辺に定住していた。しかし、ある日突然土地が大きく揺れ、地下から溶岩が噴き出てきた。学者の想定では、1040年から1110年の間に大火山活動が連続して起きたことがわかっている。約900年前に起きたこの噴火によって、シナワの人々は、家族を失い、家を失い、農地を失った。
 こうして、彼らは移住を余儀なくされ、ある者は、ウォルナット・キャニオンに、そして他の者は、ウパッキに移ったようだ。

 
ウパッキ(Wutpatki)

 ウパッキとはホピ族の言葉で、「大きな家」の意味。その言葉通り、ウパッキには、彼らが遺していった巨大な建物がある。噴火の後、約2000人がこの地に移ってきた。彼らは、主にカボチャとトウモロコシを栽培した。水は地下水に頼っていたが、火山活動のお陰で地下には豊富な水があったようだ。周辺には無数に横たわっている赤石を砕いてレンガとし、泥と木材を使って部屋を作り上げた。また、様々な儀式をする丸い式場も設定した。
 考古学者の研究によれば、この遺跡からアリゾナには存在しない石や貝殻などが見つかっているので、この地には、多くの先住民が各地から集まってきたことが推定される。そして、ここで物々交換が盛んに行われたようである。まさに、ウパッキは、文化交流の場として栄えた場所だった。ところが、1250年ころに彼らはこの地から姿を消している。

国立モニュメント(記念物)

 1924年にクーリッジ大統領は、ウパッキの遺跡を保存する目的で国立モニュメントの指定をした。これは、周辺のロマキ、ナラキフ、サイタデル、ウコキなどの遺跡を含んでいる。また、1930年には、フーバー大統領がサンセット・クレイターを国立モニュメント(記念物)と指定した。溶岩の流れた跡が如実の残っており、ハイキングコースとなっている。

  ウパッキ国立記念物のウェブサイト