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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

未来を走るライトレール、メトロ

2007年3月号

 至る所で工事が行われているフェニックスのダウンタウン。シビックセンターの拡張工事、ホテルの建設、大学のビル建設など、大型クレーンが空に伸び、変貌が手に取るようにわかる。その上に道路上で大掛かりな工事が行われている。これが、ライトレールの線路の建設だ。ライトレールはいわゆる路面電車。公共交通機関がバス以外全くないフェニックスだが、このライトレールは将来のアリゾナの発展にどこまで寄与するだろうか。

 今月はライトレール、その名、メトロ・ライトレールの詳細を見てみよう。

 
フェニックス発展の鍵を握るライトレール

 2000年3月に行われた住民投票で、フェニックス市民は新たな公共交通手段となるライトレールの建設に賛成した。当時のフェニックス市長スキップ・リムザが両手を大きく上げて、投票結果を祝っている写真が次の日の新聞に掲載された。そこまで、市長自ら力を入れたライトレールは何を意味しているのだろうか。
 まず、フェニックスとその周辺都市の著しい人口増加への対応だ。このままでは一般道路と高速道路がパンク状態になるのは、時間の問題だ。自動車による交通ラッシュ、排気ガスによる大気汚染など、ロサンゼルスを始めとする大都市の典型的な問題が加速度的に大きくなっている。
 次にフェニックスのダウンタウンの活性化にどうしても必要なものがライトレールだった。野球やバスケットボールなどスポーツイベントの時には人が集まるが、その他の夜はゴーストタウンというようなイメージを取り除くため、どうしてもダウンタウンに人が住めるようにしなければならない。この話に乗ってきたのが、アリゾナ州立大学だった。大学のキャンパスができれば、多くの学生が寮やアパートで生活することになる。生活する人が多くなれば、公共交通手段がなければならない。そこで、ライトレールはその役目を確実に果たすことになる。しかもこの線路がテンピまで伸びれば、テンピのメイン・キャンパスへも往復が可能となる。
 第三にその経済効果だ。ライトレールの駅周辺には人が集まるので、当然、様々なビジネスが集中してくる。高層アパートや小売店、レストランなどのビジネスオーナーにとって恰好の商売の場となる。それを見越して不動産関係、建設業者が次々とプロジェクトを作り上げる。こうしてライトレールが経済に大きなインパクトを与えるのは疑いの余地がない。

車社会の功罪

 19世紀半ばからアメリカの都市では馬車が主要な交通手段として使われていた。ところが、トーマス・エジソンが白熱電球や発電機を発明すると、1880年代から電動式のトロリーバスが大都市に登場する。
 そして、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、レールの上を走る路面電車が使われるようになる。しかし、1950年代から自動車の人気に押されて、こうした電車がアメリカの都市から姿を消し始めた。また、背後にはガソリンの需要増加をもくろむ石油会社が圧力をかけ、公共交通手段を著しく軽視する方向に政治が向かってしまった。
 結局、1970年代にはほとんどの路面電車が大都市から消滅する。一方、この車社会から取り残された人々の存在が徐々に明らかになるのもこの頃である。自動車を購入できない低所得者層、運転できない身体障害者や高齢者、そして子供達は誠に不便な生活を強いられることになった。こうした点の考慮から、新たな交通システムの必要性が増大してきた。そして、ライトレールが大都市に再び登場し始めたのだ。

ライトレールの利点

 ライトレールは他の鉄道に比べて建設コストがはるかに低い。それは、既存の道路の上に建設するために、新たな土地購入やらトンネル建設などの巨額の経費がかさむ必要が極めて小さいからだ。その上、急カーブや急勾配の線路建設が可能で、その分、作業が非常に簡素化できる。
 また、バス輸送に比べてより多くの乗客を乗せることができ、バスのような排気ガスがなく、静かで乗り心地が良い。また、バスよりも速度が早いのも大きなメリットだ。
 火災や事故などの緊急時における乗客の非難体制も、モノレールとか普通の電車機関より簡単で早い対応が可能となる。

フェニックスのライトレール

 13億ドルの当プロジェクトは、2008年12月に完成・稼働開始の予定だ。2005年に連邦政府が総工費の半額、5億8720万ドルを支払うことを決定した。その残りはフェニックス、メサ、テンピの3市が請け負うことになった。連邦政府にとっても当プロジェクトは全米で最も優先度が高い建設と捉えている。

 
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