このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
生まれ変わるパパゴ公園
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第二次世界大戦中は、ドイツ兵の捕虜を収容する地として使われたパパゴ公園。現在では、ユニークな岩山がアリゾナらしい砂漠の自然を保ち、市民の憩いの場ともなってきた。 この公園にも大規模な再開発案が生れ、今後の成り行きが興味深い。 今月は、このパパゴ公園を歩いてみよう。 |
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パパゴ公園再開発計画 |
その案とは、、、 2.公園入り口を5カ所設置する。 3.砂漠植物園とフェニックス動物園の間にレストラン、ギフトショップなどを設置する。 4.公園内の道路を狭くし、自動車のスピードを規制する。 5. 現存のゴルフ場の質を向上させる。 6.砂漠植物園とフェニックス動物園の間を結ぶモノレールかトロリーバスのような交通機関を設ける。 7.公園内で大規模なイベントが出来るような施設を作る。 世界最大規模の彫刻庭園を作り文化促進を図る。
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パパゴ公園とドイツ軍兵士捕虜収容所
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第二次世界大戦で捕虜となったドイツ軍の兵士がアメリカの収容所に送られて来た。アリゾナのパパゴ公園にもその収容所が設置された。アリゾナの砂漠の真ん中にあり、文明から離れたこの場所は恰好の収容所となった。
ドイツ兵の脱走を確認した米軍は蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。クリスマスイブの日だが、それどころではない。クリスマス休暇で家に戻っていた米兵が根こそぎかり出されて、調査と追跡が始まった。 一方、ワッテンベルグは他の2人の潜水艦員と一緒に脱出していた。畑に身を隠してグレープフルーツや芋を食べて飢えを凌いだ。しかしついに1月の末にはその2人の潜水艦員も逮捕されてしまい、ワッテンベルグはたった一人となった。 そこで、彼は意を決し、フェニックスのダウンタウンに行って仕事を見つけようとする。レストランの皿洗いでも鉄道の坑夫でも何でも良かった。バン・ビューレンの通りを2時間歩き続けた。疲れた彼は小さなモテルで泊ろうと試みるが、どのモテルも空き部屋がなく、ついにホテル・アダムスにたどり着いた。フロントに行って空き部屋を求めたが、やはりここも部屋がなかった。冬のフェニックスはこの時、すでにブームの地だったのだろう。
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