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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

西部劇とオールド・ツーソン

2004年4月号

 300本を越える西部劇映画のロケーションとなってきたオールド・ツーソン・スタジオ。ジョン・ウェインやクリント・イーストウッドなど、おなじみのハリウッド・スターが演じた決闘シーンの数々。近年、西部劇映画は少々下火になったとは言え、ここオールド・ツーソンは、毎日多くの観光客を受け入れ、私たちを一挙に19世紀のワイルド・ウェストへ運んでくれる。

 今月は、このオールド・ツーソンを訪ねることにする。

映画「アリゾナ」の製作とオールド・ツーソン・スタジオの誕生

 

 クラレンス・バディントン・ケランドの小説「アリゾナ」をコロンビア・ピクチャーズ社が映画化に。時は、1939年。映画監督ウェスリー・ラグレスがこの小説を読み、心に浮かべたアリゾナの風景。彼はこの風景を求めて映画のロケーション探しにアリゾナを訪れた。

 そして、彼の思い通りの場所がツーソンの西に見つかったのだ。320エーカーの地にサボテンの林と西部らしい山を背景にした場所を見つけたのだ。

 彼は早速コロンビア・ピクチャーズ社にこのことを伝え、スタジオ建設の許可を得た。彼が抱いたアリゾナのイメージは、「アメリカで唯一存在する壁で囲まれた町」であり、中には丸木の柵で囲まれたアドビの家が立つ」というものだった。

 1860年のツーソンを再現したミニ西部が出来上がった。1939年7月に始まった工事は、第二次世界大戦のため一時中止となったが、翌年の6月に完成。映画は、オールド・ツーソンでの撮影を終えると、サビノ・キャニオンにロケーションを移して完成させた。

 映画が完成したので、コロンビア・ピクチャーズ社は、スタジオから撤退。すでに必要がなくなった土地と建物をピマ郡に寄贈して立ち去った。

荒れ地と化す映画スタジオ

 誰もいなくなったこのスタジオは、実質的に荒れ地と化してしまう。誰も訪れないし、建物が壊れても修理することなどあり得なかった。当然、建物の屋根は地面に落ち、雨と風と太陽でゴミの山のような場所になってしまった。

商工会議所の名案

 1946年、ツーソン・ジュジア商工会議所がこの場所を借りようと名乗り出た。そして、郡とリース契約を結び、映画ロケーションとして蘇らせようというした。郡としては、ただ放置していただけの場所なので、契約を結び、何と年間1ドルというただ同然の金額で貸し出すことした。

蘇ったオールド・ツーソン

 

 西部劇映画には格好のスタジオであり、1950年代には20本を超える映画が、このオールド・ツーソンで撮影された。例えば、ロナルド・レーガン主演の「最後の砦(The Last Outpost)」、ジェームズ・スチュアートの「ウィンチェスター銃 '73(Winchester 73)」やグレン・フォードの「決断のとき、3時10分(3:10 to Yuma)」などが、この地から誕生したヒット作品だ。

 

一般公開の遊戯パークに変身

 1960年に、ロバート・シェルトンがオールド・ツーソンを買い取ってオーナーとなると、彼は、オールド・ツーソンをこれまでの映画のロケーションだけでなく、一般公開の遊戯パークに変身させた。オールド・ツーソン・カンパニーという私企業となり、市民が次々と訪れることになった。

 1960年代にジョン・ウエイン主演の西部劇映画「マクリントック(McLintock!)」、「リオ・ブラボー(Rio Bravo)」、「エルドラド(El Dorado)」、「リオ・ロボ(Rio Lobo)」の4本が撮影された。その映画撮影ために、酒場、銀行、医院、鉄道駅、刑務所、牧場などが付け加えられ、スタジオの拡大が行われた。

オールド・ツーソンの成功

 1960年代は、テレビの普及が手伝い、テレビ番組の撮影もここで始まった。1966年から1971年まで連続放送された「ハイ・シャパラル(High Chaparral)」は、オールド・ツーソンに安定収入を約束した。また、1969年の「ヤング・ビリー・ヤング(The Young Billy Young)」も全米に放映され、オールド・ツーソンの存在は、アメリカ人の間でよく知られるようになった。

 1993年:カート・ラッセル主演「ツームストーン(Tombstone)」

 1993年:ジーン・ハックマン主演「ジェロニモ(Geronimo)」

火災と再建

 1995年4月24日に、オールド・ツーソンで火災が発生した。その結果、全体の40%を火の粉で消失してしまった。早速、整備と再建が行われ、2年後の1997年んい再びオープンすることができた。

オールド・ツーソンの公式サイト