このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。
ハード博物館の全て
2002年1月号
ハード博物館は、アリゾナが世界に誇る博物館がひとつだ。ここでは、アメリカ先住民の歴史、文化、現状、芸術などを詳細に知ることができる。 今月は、このハード博物館に立ち寄ってみよう。 |
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創立者ハード夫妻 |
ハード博物館は、1929年にドウァイト・ハードとその妻、メイ・バートレット・ハードによって創立された。 ハード夫妻は、個人的に収集したアメリカ先住民の工芸品を展示して博物館とした。当初の大きさは、現在の8分の1のサイズだった。 アメリカ南西部の先住民の豊かな文化と歴史を知るには、最適な博物館として、アメリカ国内をもちろん、海外でも広く認識されている。 創立者のドウァイン・ハードは、この博物館の完成を見ることなく他界してしまった。しかし、彼の情熱は、その後、多くの人々に引き継がれ、近年、大規模な拡張工事を経て、現在に至っている。 |
ハード夫妻の貢献![]()
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ハード夫妻は、1893年、シカゴで結婚した。その2年後、夫婦はアリゾナに引っ越してきた。夫のドウァインが慢性の肺炎を患い、医者から温暖で乾燥した場所に移るようにアドバイスを受けたからだ。夫妻がフェニックスに到着した頃は、フェニックスは、人口が約4,000人ほどの町だった。 フェニックスに居を構えたハード夫妻は、フェニックスがすっかり気に入ってしまった。そして、この町の発展のために力を注ごうと決意したのだ。ドウァインは、数人のシカゴ出身の友人達と経済発展のための投資計画を練った。一方、妻のメイは、町の文化発展に貢献しようと活動を始めた。 さて、ドウァインの投資計画は、不動産部門から始まった。そして、フェニックスやその周辺の土地開発を積極的に展開した。こうして、1912年には、地元最大の新聞社、アリゾナ・リパブリックを買収した。そして、この新聞を通して、フェニックスのみならず、アリゾナ全州に政治的また経済的な影響を及ぼすようになった。 ある日、夫婦は、カサブランカと呼ばれる邸宅を建設し、ここにゲストを招いてシェークスピアの演劇を披露したりして、活発な社交活動を展開した。この邸宅には、セオドア・ルーズベルト大統領が宿泊したり、ハーバート・フーバー大統領が立ち寄ったりしている。 また、1926年には、フェニックスのある土地を買収し、考古学者を雇って、ホホカム族の遺跡を発掘させたりした。その出土品は、現在、ハード博物館に保管・展示されている。
メイも積極的に地域発展に関わり、フェニックス女性クラブに建物と土地を寄贈した。この場所が、現在のフェニックス公共図書館、フェニックス子供劇場、フェニックス美術館の敷地となった。 |
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こうして多忙を極めた夫婦の最後の事業として、博物館を建設することを決めた。そして、土地、建物、そして膨大な数のコレクションを博物館に寄贈した 建物は、スペインのコロニアル・スタイルにし、その中には、中央コートヤードを囲んで12のギャラリーを作った。博物館の完成は、1929年だった。ちょうどアメリカは、あの大恐慌に襲われていた。それだけでなく、完成の1ヶ月前にドウァインがこの世を去ってしまった。しかし、妻のメイが全てを引継ぎ、6月18日の正式オープンに漕ぎ着けた。 そのメイは、1951年3月14日に息を引き取った。その後、ハード夫妻の情熱と努力は、広くフェニックス市民の間に生き続けている。
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