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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

ウォルナット・キャニオンを歩く

2001年8月号

 古代インディアン、シナワ族の住居跡が次々と現れる。人里離れたキャニオンをゆっくり歩いて、12世紀頃の遺跡を楽しめるハイキング・コース。

 今月は、このウォルナット・キャニオンを訪れてみよう。

 フラッグスタッフから高速道路I-40号を東に進行。7マイルほどで標識が見えてくる。標識にしたがって、I-40号を降り、南下する。約3マイルでウォルナット・キャニオン国定記念物の入り口に着く。

 ウォルナット・キャニオンは、古代先住民のシナワ族が集落を作り、その住居跡が300ヶ所以上もある考古学の宝庫だ。この住居は、クリフ・ドウェリングと呼ばれ、断崖を削って穴を作り、そこを住居としたものだ。その中に小さな部屋がいくつも並んでいて、壁は石と粘土を積み重ねてできている。部屋の中には、火を使った形跡も見られる。

 

 シナワ(Sinagua)族は、アリゾナ中央部や北部で独自の文化を作り上げた古代先住民だ。同じ時代にアリゾナで生活したアナサジ族やホホマム族とも交流があった。シナワとは、スペイン語で「水が無い」という意味だ。16世紀にスペイン人がこの一帯に来て、サンフランシシコ山脈を「シエラ・シン・アワ」と呼んだ。これだけの大きいから流れている川があまりにも少ないことで驚いた彼らが、「水が無い山脈」と呼んだことから、その周辺にかつて住んでいた人々をシナワと名付けた。

 しかし、実際は、彼らが水を見つけ、豊富な水を使いながら集落を作理、農業を営んでいたことがわかっている。ここにある住居跡で最も古いものは、西暦675年頃のものである。当初は、狩猟と簡単な農業をしていたが、後にホホカム族から灌漑用水の技術を学んで農業を発展させたようだ。

 彼らを悩ませたのは、200年も続いた噴火だった。1064年にフラッグスタッフの北部で激しい火山活動が始まり、広範囲にわたって火山灰と溶岩が広がった。現在のサンセット・クレータがその跡である。

 こうして、火山で大変な思いをしたシナワ族だが、火山灰などが土地を肥沃にすることを知り、農業をさらに発展させる。そして、噴火口に近い高山から降り、フラッグスタッフ、セドナなどに散ってクリフ・ドウェリングで住居を作った。

 彼らがウォルナット・キャニオンに定住し、活発な活動をしたのは、西暦1150年から1225年の間と見られている。

 こうしたシナワ族だが、1225年頃に全てを捨てて姿を消してしまった。

 シナワ族が去り、長い間人が寄り付いた形跡がなかったが、19世紀に白人がこの地を訪れた。1880年代に狩猟を目的にこの一帯に来た彼らは、随分シナワ族の遺跡を破壊したようだ。

 1900年代に、フラッグスタッフの市民から、この地を破壊から守り、観光化して保護しようという声が上がった。そして1915年、ウィルソン大統領がウォルナット・キャニオンを国定記念物に指定した。1940年代に歩道が整備され、団体ビジターにはガイドが付くようになった。

 ウォルナットとは、クルミの意味だ、19世紀の頃はこの地に多くのクルミの木が見られたため、ウォルナット・キャニオンという名前が付けられた。

ウォルナット・キャニオンの公式サイト